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管理人&執筆者のむじかです。
この記事の執筆者

略歴
11歳でピアノをはじめ、高2から音大を目指してなんとか合格。
入学時は「下手くそ」と言われる腕前でしたが、バイト三昧の貧乏苦学生の中で、ピアノ演奏の研究を重ね、少しずつ成績が伴い大学院へ進学。
卒業後は小学校教員、不動産会社経理職を経て、現在は音楽のみで生計を立てています。
自身の試行錯誤の経験と、これまでに指導してきた150名以上の生徒さんとの出会いから見えてきた、
ピアノ上達のヒントや悩みの解決法を、このサイトで発信しています。
活動・受賞歴等
詳細はこちらをクリック
・某音大 音楽学科ピアノコース 卒業
・卒業演奏会出演(学年5位以内)
・同大学院ピアノ専攻を評価Sで卒業
・国際芸術連盟新人オーディション合格
・国際芸術連盟 新人推薦演奏会出演
・学内選抜サマーコンサートなど多数出演
・ソロリサイタル地方、東京公演開催
・ハンガリーリスト音楽院夏季留学
・セレモニーホール専属ピアニスト経験あり
・NHK全国合唱コンクール合唱伴奏経験あり
・ソロ活動、他楽器との演奏活動
・リクルート運営「おしえるまなべる」にて編集部のおすすめ先生認定
・ピアノ教室net.にて教室ランキング全国1位獲得経験
・ブルグミュラーコンクール本選 指導実績
・教育連盟ピアノオーディション入賞等の指導実績
・東京学芸大学G類ピアノコース生 指導実績
・東京音大、武蔵野音大、尚美学園大、大宮光陵高校等 合格指導実績
・教員採用、保育士実技試験 合格指導実績
ピアノ&指導略歴
- 小5 近所の教室でピアノを習い始める
-
周りの5.6歳と同じ教本なのが悔しく、毎週10曲ほど自分で予習していた。
- 小6 すっかり天狗期
-
音楽の授業で先生の代わりに伴奏を任されるようになり、すっかり天狗に。将来はピアノの仕事がしたいと思うようになる。
- 中2 印象主義音楽にハマる
-
ドビュッシーの「塔」を聞き感銘を受け無理やり発表会で弾く。(弾けてない)
- 中3 音大志望も、相手にされず
-
音大に行きたいと考えるが、親にも先生にも相手にされず。
- 高2春 ピアノ教室移籍
-
音大進学を熱望し、ようやく教室を移籍。
新教室で他の子のレベルの高さに愕然とする。
1年以上かけて受験曲を練習。
新しい先生に「まむし指」と言われる。
速い曲を弾くと腕が痛くなる。 - 高2夏 恩師に出会う
-
第一志望大の夏期講習に参加し、後の恩師に出会うも合格率50%と言われる。
- 大1 第一志望ピアノ科に合格
-
最初の演奏試験で撃沈。
恩師に「下手くそだから仕方ない」と言われ、決死の覚悟で上達を決意。
しかし恩師に校外レッスンの先生を紹介してもらうも相性が合わず、上達できず。 - 大2 フィンガートレーニングの概念に出会う
-
自ら外部の先生を探し良い先生に出会う。
「フィンガートレーニング」の概念と先生に出会う。
御木本澄子氏「正しいピアノ奏法」を研究。
レッスン代捻出のため極極極貧生活に突入。 - 大3 成績急上昇期・ピアノ指導開始
-
フィンガートレーニングと新しい先生のおかげで成績が急上昇。
学内演奏会に選抜されるようになる。
外部コンクールでも入賞できるように。
極貧のためバイトを掛け持ち、ピアノの指導を始める。 - 大4 大学院を目指す
-
さらに研磨したく、大学院を目指す。
- 院1 働きながら大学院通学
-
ハンガリーのリスト音楽院の夏季留学参加。
ピアノ指導を本格化させ働きながら院通学。 - 院2 地元・都内でソロリサイタル開催
-
地元と東京にて、ソロリサイタル開催
成績Sで大学院修了 - 24歳~28歳 ブランク期間
-
新卒で小学校の常勤講師に就職。
ピアノを弾く時間が大幅に減る。
その後、経理事務職に転職。
残業残業でますますピアノが弾けなくなる。 - 29歳 結婚とピアノ再開
-
結婚のため引越。
ピアノ奏法の研究を再開。 - 31歳 離婚とフィンガートレーニング指導
-
仕事や人生観でモメて離婚。
音楽で生きていくことを決意し、独立。
自身が大きく救いになった「身体の使い方」を指導の軸とするため
藤本雅美氏「ピアノのためのフィンガートレーニング」を研究。 - 32歳 教室が軌道にのる
-
教室運営が軌道にのりはじめる。
講師の先生を雇い、演奏活動を活発化。 - 33歳 多忙・コロナ禍で価値観が変化
-
多忙になりすぎた頃、コロナが発生。
自身の健康も不安定になり、仕事のあり方について見つめなおす。 - 現在 将来の夢のために奮闘中
-
教室運営の傍ら「ピアノ上達の処方箋」サイトを運営中。

ここから下は長いですが・・・
現在に至るまでの経緯や、私がどのような想いでピアノを続けているか綴ってみたいと思います。
ピアノど下手くそだった筆者が、コンクール入賞、音大院卒業、音楽で生計を立てられるようになるまでのお話です。
ご興味を持っていただける方はご覧ください🙇♀️
ピアノとの出会い~音大受験まで
ピアノとの出会い


平成間近のある日、私は田園風景の広がる田舎町に生まれました。
小学生になると、周りの友人たちはみんなピアノを習い始め、休み時間になると教室のオルガンで弾きあいが始まります。
そんな光景を、私はいつも羨ましく眺めていました。


「私もピアノがやりたい!」と両親にかけあったものの、



ピアノなんて将来の役に立たない
と、バッサリ一蹴。
それでも諦めず、長年のバトルの末、小5からようやくピアノ教室へ通えることに!
ちなみにその時点で週5で他の習い事もやっていました 笑
・月謝が安い
・1人で通える近所
・キーボードOK
この3つの条件をクリアした、若くて優しい先生の教室へ通えることになり、ついに、88鍵に満たない簡易キーボードが我が家にやってきたのでした。
順風満帆(勘違い)の導入期
これまでの欲求不満を晴らすように、私はどっぷりピアノにハマりました。
開始時の教本は「こどものバイエル教本1」


周りの5、6歳と同じ課題が出されるのが悔しく、毎週自分で10曲くらい予習をしていきました。
レッスンのスタイルは、「間違えずに弾けたら合格」だったため、教本はサクサク進んでいきました。
・指はベタっと伸ばした状態で使っている
・親指はマムシ(つけ根が凹むやつ)
・肩や腕はガッチガチ
そんな状態で、どんどん教本を進めていました。
テクニックとか音の出し方、和声の変化とか、そういう話は…正直ほとんど記憶にありません。
当時の私は弾き方の悪クセに気づくはずもなく、レッスンに行くたび教本が進んで、先生も褒めてくれるので、ますますピアノが大好きになっていきました。
同時に、勘違い天狗になっていきました…


ピアノ人生初の挫折
ピアノがとにかく大好きな勘違い天狗むじかは、小6の頃には「音楽の道にすすみたい」と思うように。
その想いをピアノの先生に打ち明けてみたものの…



え、音大?まぁ…がんばろうね~
とあっさり流されてしまいました。
中学に上がると、当時は“運動部に入らなきゃいけない空気感”があり、私はテニス部に入部。
そこそこ強い部活だったため、令和では考えられない週7日・年間360日稼働の部活。
正直、いつピアノを練習していたのか、あまり覚えていません…。
それでも、合唱コンクールの伴奏者を務め(他クラスの曲まで練習してた)、毎年発表会に出演し、レッスンも休まず通っていたくらい、ピアノへの熱は冷めることはありませんでした。
部活に明けてくれていたように見えたせいでしょうか、中3で再度ピアノの先生に将来の希望を語るも、やはり本気にされず。
高1の終わりに、諦めず先生に相談したところ、突如先生が焦り出します。



今のままでは厳しいわね。。
私は教えられないし…
とのことで、音大希望者を指導している隣町の先生を紹介してもらいました。
新しい先生のレッスンでは、



もっと歌って!!



もっと明るい音を出して!



ここは場面の変化を表現して!
などと、初めて聞く指導ばかりで、カルチャーショックを受けました。
さらに衝撃だったのは、新しい教室の発表会で目の当たりにした、周りの生徒さんたちと自分のレベルの違いです。
みんな、本当にうまい。
同じくらいの難易度の曲を弾いているはずなのに、なんだか分からないけどうまい。(当時の感覚)
勘違い天狗の鼻が、根本からボッキリ折れた瞬間でした。


背水の陣で、高2から音大合格を目指す
折れた鼻に涙しつつも、当時の私は、そこから他の学部に進もうとは到底思えませんでした。
高2の夏休みには1人で東京へ出てきて、あちこちの音大の講習会へ参加してみました。
いくつかの音大を下見したところで、両親からさらなる試練が課されます。



お金がないから私立音大はダメ
浪人もダメ



国公立の音大か
総合芸術大学いずれかに
合格できなければ
ピアノを辞めなさい



…
ようやく、ようやくスタート地点に立てたばかりだったのに。
これから本格的に学び直す、というタイミングで、まさかの「合格できなければ即終了」宣告。
絞られた大学のいずれかに合格しないと、私の夢はわずか2年で散ってしまう・・・
なんとしてでも、合格しないと!!
人生を変えた出会い 1
高2の冬に参加した、某総合芸術大学の講習会で、後の恩師となるJ先生と出会いました。
先生は【題名のない音楽会】にもご出演されていた有名なピアニストで、こんな私にも熱心にレッスンをしてくれました。
大学の成績優秀者によるピアノコンサートを見に行った翌日、先生のレッスンで私はこんな話をしました。



みんなすごく上手で、素敵でした。
あんなふうにステージでピアノを弾けたら
どんなにいいか・・・



今のままでは合格率30%くらいかな



でも、どんなピアニストも才能以上に努力してるよ。
君はどうする?


音楽の道を志してから、周りにはずいぶん「できるわけがない」と言われてきました。
J先生にもてっきり「君には無理」と言われると思っていた中、合格率30%にも関わらず、否定することなく私の決心を聞いてきたJ先生。
感銘を受けた私は、この大学に入って、J先生に師事したいと思うようになりました。
高校3年生の1年間は、大学に合格することだけを考え、日々を過ごしました。
1年以上かけて課題曲を練習し、聴音のレッスンにも通いつめ、学校の自習時間に楽典を勉強し・・・
それでも最後の最後まで、合格率は50%以下と言われていました。
結果は・・・・・
第1志望大 合格!!!!
この世の春!!!


…しかし本当の試練はここから始まるのでした…
音大生1~2年
「君は下手だからしょうがない」
晴れて大学生となった私。
憧れの東京、自由な1人暮らし、
新しい友人、ピアノに触れる毎日、
全てがキラキラ バラ色生活✨
しかしそんな浮かれた気持ちは、
初めての実技試験で一気に崩れ去ります。
1年生で初めての実技試験の課題曲は
ベートーヴェンのピアノソナタでした。
他の学生より
明らかに易しい曲を与えられた私。
にもかかわらず、
自信のなさも相まって本番では散々な出来でした。
音楽性どころか、
指が動かない、
弾きなおす、
ミスばかり・・・
音大生としてありえない💦
正直、練習もちゃんとできていなくて。
今思えば、浮かれてたんだと思います。
試験後、先生から講評をいただけるのですが、
練習不足を怒られるかと思いきや・・・



…ま、君は下手くそだからしょうがないね。


これだけのことをやらかしておいて、
下手だからしょうがない はあまりにショックでした。
2年生以上になると、試験は公開となり、
さらに成績優秀者は様々な演奏会に選抜されるようになります。
私が高校生の時に見た、あのコンサートもそうです。
ここで頑張らなければ、大学4年間、
表舞台に立つことなく終わってしまう。
もともと負けず嫌いの、私の雑草根性に火がつきました。
人生を変えた出会い2
学校のレッスンだけでは、他の子に追いつけないと思い、
私は外部で指導してくれる先生を探し始めました。
ピアノの上手な友人たちに聞きまわって出会ったのが、
「フィンガートレーニング」を教えているF先生。
フィンガートレーニングとは、ピアノを弾く身体機能そのものを鍛えるトレーニング。
スポーツで言うところの“筋トレ”のようなものです。
この時の私は、まだマムシ指で、指は伸ばし気味。
しっかり打鍵もできておらず、手もあまり開かず(そんなに大きな手でもない)、
指の分離も脱力も、まったくできていませんでした。



これは私のためのレッスンでは??
すぐに友人に頼み込み、F先生にアポを取って、レッスンに通うことに。
さらにネットで検索し、近所のI先生の体験レッスンにも申し込みました。
I先生は、身体の使い方を全身で教えてくれるタイプで、
今までに受けたことのないような、熱いレッスンをしてくださる方でした。
当時の私には少々レッスン料が高く、決めかねていたのですが、
I先生がやや強引に話を進め、気づけば発表会に出演することに。
そのまま門下生となりましたw
でも結果的にはこれが大正解。
少々強引で、かなり毒舌な先生でしたが(笑)、私のことをとても可愛がってくださり、
ある時はお酒を飲みながらピアノについて語り合い、
またある時は、お腹を空かせていた私に激辛ラーメンをご馳走してくれるという、
面倒見のいい先生でもありました。
ピアノだけでなく、私の人生にも、多大な影響を与えてくださった先生です。
大学の図書館には、ピアノ奏法や音楽に関する書籍がたくさん置いてあったので、
先生に習う以外にも、図書館でピアノ奏法に関する書籍を片っ端から借り、夜な夜な研究もしてました。
とにかく、寝ても覚めても、ピアノのことばかり考えていました。
こうして努力を重ねたことで、半年ほどで少しずつ演奏の変化を感じられるようになりました。
……… が、しかしまたここで壁にぶち当たります。
バイト三昧、貧乏苦学生
お金がない!!
生活費は、奨学金と高校時代の貯金のみ。
そんな中、いろんな先生のレッスンに通いまくった結果――
あっという間に貯金が底をつきました。(当たり前)
近所のファミレスや単発バイトをしていましたが、
時給900円前後では、何時間も働いたお金が
レッスン1回でふっとぶ=3
銭地獄、負のスパイラル


こんな生活がしばらく続きました。
おかげで1日105円(当時の価値)で生きる方法も指導できますw
私の貧乏性質素倹約の基盤はここで誕生しました。
練習すべき時間に単価の安いバイトをしても、
時間かお金かの天秤になってしまう・・・
そこで私は考えました。
ひよっこピアノ講師の第一歩と錬金術
「ピアノうまくなりたい」
その気持ちだけで生きていた当時の私。
ピアノと命のために、なりふり構っていられませんでした。
普通のバイトではやっていけないので、
ネットを駆使して単価の高いバイトを探しまくり、バイトしまくりました。
・大学入試の門前で謎のパンフ配り
・早朝バスの乗車人数調査バイト(前日車中泊)
・携帯の価格調査
などなど、ちょっと怪しげなバイトにも参加w
でも、毎回イレギュラーな仕事では体力も精神ももたない。
「なんとかルーティン化できないか…」と考え、
自宅近くのコンビニで、早朝&深夜バイトをスタート。
もう一つ、思い切って
ピアノの生徒を個人的に募集してみました。
教えるのは全く初めてでしたが、
それでも通常のアルバイトに比べると相場自体が高いので、
時給単価を高く設定することができます。
しかも勉強になって、通勤時間も節約できる。
ネットで手あたり次第、講師登録ができるサイトを探し、片っ端から登録しました。
他のベテラン先生よりだいぶ安めに設定し、
たぶんうら若き女子大生という点も追い風になり(笑)
運良く、成人男性からの申込みがドシドシ来るようになりました。
成人男性を不可にしている女性の先生は多いのですが、
当時の私はとにかく必死だったのでどんな方でもウェルカム。
こうして、
- 早朝にバイト
- 学校でピアノ朝練(※家はアップライトなので)
- 授業 → 休憩中も練習
- 夕方はレッスン(教える側)
- 夜はまた数時間バイト
という、ピアノと生存のためのルーティンが完成しました。
音大3~4年
少しずつ結果が出てきたピアノ
生徒様たちのおかげ様で、練習時間も確保しつつ
レッスン代や生活費もギリギリ稼げるようになり、
複数の先生のレッスンにも通い、
テクニックについての研究も重ねたりできるようになりました。
そうしているうちに、成績も伴ってきて
学内演奏会に選抜されたり、
コンクールで入賞できたりできるまでになりました。
すると、J先生が思わぬことを仰いました・・・・



あんなに下手くそだった君が…
この短期間でよくここまで上達したね。



もっと長く、本気で勉強したらどうなるか楽しみだ。
留学か、大学院とかは考えないか?
留学に憧れたものの、海外アレルギーの両親の強い反対で撃沈。
そこで、大学院に進みたいという気持ちが強くなり、
恩師にも両親へ説得してもらいました。



大学院からは、全て奨学金でまかなうならまぁ…
という条件のもと、
大学院へ進学することを認めてもらうこととなりました。
(まだ合格するかわかりませんでしたが・・・)
短いピアノ人生、ようやくスタートから歩き出せた私。
これからまた数年の猶予があると思うと、ますますやる気が沸いてきて、
大学の3、4年生はそれはもうピアノ漬け(とバイト漬け)の日々でしたが、とても充実していました。
ピアノの講師も、おかげさまで成人男性の生徒様たちにお越しいただけていて、
なんとか続けていました。
「ただ・・・・なんか思っていたのと違う。」
ピアノを教えはじめて1年、とある違和感を抱いていました。
違和感と気づきのきっかけ
初心者の成人男性からの申込みはぼちぼちあり、
生徒さんがいなくて困るということはありませんでしたが、
みなさん、長続きしないんですよ。
早い方だと1か月、長くても半年くらい経つと「仕事が忙しくて・・・・」とフェードアウト。
せっかく基礎をちょっと覚えたり、多少音符が読めるようになってきたか・・・
というようなところで辞める方がほとんどでした。
最初はあまり気にしていませんでしたが、1年ずっとこの状態が続くため
これはきっと…
私の何かに問題があるのかもしれない
と感じるようになりました。
大学院生時代
思わぬ生徒さんとの出会い
そんな中、リクルートの「おしえるまなべる」というサイトを見つけました。
大学院に合格したてだった私は
肩書も増えたため、心機一転、
そのサイトで講師登録をしたところ、今までと違う層のお客様からの申込みが。
小学生の女の子Aちゃん。
親御さん曰く、
「他の先生にピアノを習って既に6年たつが、
練習も嫌いで、音符も読めず、
娘が先生の言うことを聞かないので
先生を変えたいと思っている」
と・・・
初体験にして、だいぶ難易度高いぞ!!!
ちょっと怖気づきましたが、
初心者男性の指導経験しかなかった、
しかも壁にぶち当たっている私にとっては
これ以上ないビッグチャンス到来!! でした。
2つ返事で面談をお約束し、無事に成立。
自分の至らない点を、振り返るよい機会になると考え、
Aちゃんとのレッスンに臨みました。
そして・・・・
ピアノのレッスンで、大事なこと
Aちゃんとのレッスンが始まりました。
ピアノ歴6年なので、弾いている曲は一応、バイエル後半くらいの曲なのですが
楽譜は読めず、前の先生に教えてもらったとおりただ指を動かしているだけ・・・
練習も嫌いだというので、本人に直接聞いてみました。



どうしたらピアノ楽しくなりそう?
教本は楽しくない。
好きな曲があるから、それを弾きたい
とのこと。
早速、Aちゃんが好きだという曲を調べ。
ちょっと難しそうだったので、
Aちゃんが弾けるようアレンジしてみました。
すると、次のレッスンでAちゃんは大喜び。
早速、その曲に取り掛かり、
レッスンでやったところの練習もしてくれるようになりました。
そこで、あることに気付いた私。
成人男性の生徒さんたちは、みなさん体験レッスンの際に
「基礎も大事だと思うので、基礎もやりたい」と仰ってました。
でもそれは、<そう言わないといけない>という気持ちから出た発言で、
本心ではなかったのかも・・・
もしくは、その後気持ちも変わっていったかもしれないけど、確認作業を怠っていたなぁと。
Aちゃんのことをきっかけに、成人生徒さんたちの希望も改めて聞き、
レッスン方法を変えてみることにしました。
すると、生徒さんたちのレッスンの際の表情も、
少しずつイキイキしてきて
レッスンをより楽しんでくれているのを感じるようになりました。
おや?
私のピアノ人生、順調では???
と思い始めた矢先、
Aちゃんの練習の勢いが、また落ち始めてきてしまいました。
その理由とは・・・・
自分でできる!が、楽しさも加速させる
楽譜が読めないため、レッスンでやった部分の音や弾き方が覚えきれず
練習が辛くなってくる
という理由のようでした。
思い返してみれば、自分が子供だったころ
楽譜を眺めるのが大好きで、音符は自然に読めるようになっていたので、
「譜読み」が大変だと感じたことはなく
結果、練習が苦ではなかったのかもしれません。
やっぱり、
楽譜が自分で読める
というのは音楽をやる上での知識だけではなく、
モチベーションにとっても、
とても大切なことなのではないか・・・
と改めて思い、好きな曲のレッスンと並行して、
音読みの特訓を取り入れることにしました。
特訓開始から約3ヶ月、
Aちゃんは少しずつ音符が読めるようになり
好きな曲の練習へのモチベーションも回復してきました。
さらに以前「楽しくない」と言っていた教本をパラパラめくっては、たまに弾いてみてるとのこと。
「音符が読めるのが楽しくて、弾こうかなーって気になってきた」
と。
お母様も喜んでくださり、レッスン仲介サイトの「おしえるまなべる」に
高評価の口コミを書いて下さいました。✨
その口コミのおかげで、私のプロフィールが検索でも目立つように。
この頃から、また新たな生徒さんたちとの出会いが増えていきました。
むじかの教室運営の原点
高評価の口コミと“小学生の女の子の指導経験がある”という実績ができたことで、
その後また小学生の親御さんから申し込みをいただき、
面談、成約、レッスンの口コミをいただき・・・
という流れができあがり、
ありがたいことに“編集部のオススメ先生”として紹介され、
そのおかげで、様々な目的をもった生徒さんたちが集まってくれるようになりました。
・大人の初心者
・音大受験したい高校生
・合唱伴奏の勉強をしたい方
・楽典だけ勉強したい方、
・カラオケ上達のためソルフェージュを習いたい方、
・アマチュアだけどとてもピアノが上手な大学教授
などなど
気がつけば、いつの間にか十数名の生徒さんに通っていただくまでになっていました。
大学院に通う傍ら、ピアノ指導をし、
早朝深夜コンビニや法律事務所のバイトなども掛け持ちして、
忙しくも充実した日々を過ごせていました。
発表会の企画にもチャレンジし始めた私は、
“せっかくなら、ちゃんと名前をつけたいな”と考え始めました。
色々悩んでいるうちに、ふと浮かんだのが……むじか。
ラテン語で「音楽」という意味。
これにて、むじかのピアノ教室の誕生です。
めでたしめでたし・・・・
・・・とはいかないのです。


卒業後への不安
時は20XX年
院2年になっていた私は、卒業を間近に控えていました。
卒業したら当然、奨学金がもらえないばかりか、
返済もしなければなりません。
(なお現在も返済中)
当時のピアノ指導の収入に加えて、コンビニや法律事務所のバイトを掛け持ちすれば、ひとり暮らしならなんとかやっていける状態ではありました。
ですが
楽器可マンションに住んでいたため、
高めの家賃を払っており、
不安定な収入への不安感はやはり強く。
学部生の頃から生活は常にカツカツで、
コンクールや少しの予定外の出費があるたびにひもじい暮らしをしていました。
ゆで卵1つのみが1日の食事だったり、
演奏会でいただいた差入れのクッキーと水のみで
2日間生き抜いたこともありました。
めちゃ美味しいクッキーのはずが・・・口内の水分という水分が奪われる。。
服は西日暮里で数百円のものを買って工夫し、
テレビは売り払い、(N〇K対策)
物も買わず、外食もせず、冷暖房節約。
夏は裸族、冬は家の中でダウンを着て過ごしていました。
人間、あまりにお腹がすくと、心も貧しくなりがち。
こんな自分は嫌で…
正直、貧乏はもうこりごりでした。
また、両親からは



もう存分にピアノやったんだから、そろそろ「普通の」ちゃんとした生活をして。
そうでないなら、今後何か困っても助けないよ。
とも言われていました。
それだけではなく、
当時は、自分がピアノを教える意義について明確な自信を持てていませんでした。
もちろん、色々な生徒さんにお越しいただいて充実はしていましたが、私の心の深いところでは、いつもこんな考えがありました。
「私は、少し成績が伸びたとは言え、ごく普通の音大院生。
大学の中ですら首席というわけでもなく、世の中を見れば、素晴らしいピアニスト、素晴らしい先生は山ほどいる。そんな中で、私が自信をもって伝えられる内容って何なんだろう?
何をとっても、すごい先生たちには及ばないのではないか」
このような理由から、ピアノ1本で生活することには自信が持てず…
ピアノ指導を継続しながら安定した収入を得られる仕事を探そう
という結論に至りました。
しかし、ピアノ指導もまぁまぁ忙しかった中で、
そんな都合のよい仕事があるのか…
…あったのです。
小学校講師時代
子どもとかかわる上で大事な視点と経験
卒業と同時に、ピアノ指導を続けつつ、安定した収入を得られる仕事に就きました。
小学校の非常勤講師 です。
当時、都内の小学校では学力低下への対策として
「少人数制授業」や「放課後学習」の実施を試みていました。
そのため、非常勤講師の募集をしていました。
非常勤とは言っても、契約上は1年単位での雇用で、実際の勤務は月〜金の週5日。
ほぼフルタイムに近い形で働くスタイル。
ですが、労働時間が8~15時までというところが魅力的でした。
私が担当した仕事は
・少人数制授業の算数指導(全学年)
・1年生の副担任および給食、学習サポート
・音楽の授業の補助および伴奏ピアニスト(全学年)
・音楽会での合唱、合奏指導、個別指導(全学年)
・移動教室の付き添い(全学年)
・放課後授業(補習授業)の担任(高学年)
・軽度の発達障害がある子どもの補佐(全学年)
ざっとこんな感じです。
教育現場に飛び込むのは初めてでしたが、いきなり実践の連続。
想像以上に幅広い業務を経験させてもらうことになりました。
それまで全く知識のなかった、
ADHDや、アスペルガー、LD、自閉症などのお子さんへの知識・対応の仕方も学べました。
この経験を通して、
1人1人の個性を尊重し、気持ちを汲み取って
得意なことを引き延ばし、苦手なことを丁寧にサポートすることがいかに大事か
子どもが、どんなことに興味をもち、どんなことなら集中して行えるのか
どうしても苦手とする内容、分野をどのように見守ってどの程度サポートするか
ということを深く考えるきかっけとなりました。
これは、現在のレッスン内容や方針にもとても役立っています。
余談ですが、少しばかりお金に余裕ができたおかげで、
コツコツ貯金して念願のグランドピアノを購入しました。
実はそれまで、自宅にアップライトピアノしかなく、
レッスンもアップライトピアノだったので。。
泣いてばかりいた子が、いつの間にか自信を持って生活している。
最初はあまり言うことを聞いてくれなかったり、反抗的な子どもでも、1年一緒に過ごすと、心を開いてなんでも話してくれるようになる。
そんな子どもたちの成長を日々そばで見届けることができる、やりがいの大きい仕事でした。
こんな、素晴らしい環境だった小学校講師の仕事。
しかし、2年目にして転職を考えだしました。
なぜかというと・・・・
学びの多い職場を辞めた理由
得られるものが非常に多かった小学校講師の仕事。
でも、子どもたちが登校してから下校するまでそれはもう戦場でした
私の場合は、時間によって担当学年が変わったり、
場所が変わったりで校内を駆け回り、
休み時間や給食、掃除は1年生の見守りと相手をし、
体育やプールのあとには着替える時間もなく、
生乾きの水着の上にTシャツをかぶって授業なんてことも・・・
加えて、冬は風邪やインフルの流行予防のため、窓は開けっぱなしで授業せねばならず。
寒がりな私は雪だるまのごとく重ね着しても震えていました。
夏は日焼け止めを塗る間もなく炎天下でシミも増加。
1日2万歩くらい走り回って体力を奪われた後
帰宅してピアノ指導、土曜日も10人くらいレッスンして・・・
という日々を過ごしていました。
幼少期からどちらかというと体が丈夫ではなかった私・・・
気持ちは平気だったのですが、身体がついていけませんでした。
毎月毎月、風邪をひいて、
子どもたちから「先生いつも風邪ひいてるね」と・・・
咳・のどの痛み・鼻水鼻づまりのフルコース。なのに
熱は上がらないため仕事も休めず、
(コロナ後では考えられませんね^^;)
子どもたちに移さないようにしながら
自分も辛いし、生徒さんへのレッスンにも悪影響でした。
そしてもう一つ。
契約上、稼働時間は8時~15時でしたが、
放課後学習の指導を任されており、
それがなんと契約時間を過ぎた15時30分から開始されてました。
(ここ完全ブラック!!)
しかも決まった終了時刻がなく、生徒が問題を理解して帰るまで終われず
18時頃までいた日も多々ありました。
(ここ完全漆黒!!)
残業代はもちろんありません。
ピアノ指導が早い時間からある日は、放課後学習は他の先生へお願いして帰らなければならないこともありました。
勤務開始当初時点で、ピアノ指導とダブルワークであることは学校側へ伝えていて、
先生方も快諾はしてくれていたのですが、
他の先生に仕事をお願いして先に帰るというのが何度もあると…
契約上15時までなのだから、
悪いことをしているわけではないはずなのに
ものすごい罪悪感で…
いつもいつも、退勤時が憂鬱で仕方なかったんです。
ストレスで免疫疾患の持病も発症しました。
そんなわけで、丸2年間の勤務にて退職しようと決意。
その頃、上記の事情もあって
ピアノ指導の方は新規の生徒さんを募集もしておらず
院の卒業時よりも生徒さんは減っていました。
小学校を辞めた後の経済的な不安は解消せず、次の仕事はどうしようかと・・・
思えば私は、アルバイトはいろいろしていたものの
高校からピアノのことばかり考えて生きてきたし
その後も小学校での勤務という、少し特殊な業界の経験しかないので、
一般社会での常識を知らないのではないか・・・
一度くらい、一般社会にもまれてみないと!!
と思い、資格をとって次の就活にいかすこととしました。
それは・・・・
別世界へのチャレンジ
「普通の」ちゃんとした生活
大学からずっと特殊な世界にいた私は、
「一度は一般社会にもまれてみたい!」と思い、一般企業への就職を考えるようになりました。
院生の頃にやっていた法律事務所での事務バイトが楽しかったし、内勤の事務職なら、小学校ほどの身体的負担もないはず…と期待して、事務職がいいなぁと。
生徒さんたちもいて、正社員は厳しいだろうと思い、派遣の事務職を探すことに。
とは言え、ピアノ専攻で大学院まで出てしまい、小学校での職務経験しかない私。
丸腰で挑んでも、きっとどこにも採用されないかも…
と思い、日商簿記の資格をとることにしました。
勉強してみたら、お金の流れや仕訳、減価償却など
意外と興味深くて楽しく勉強でき、無事に退職前に資格を取得!
(ちなみに個人事業主となった現在、この経験はひじょーーーに役立っています!)
当時、あちこちの企業は派遣社員を積極採用していました。
その波に乗り、小学校退職後すぐに、不動産の管理会社の経理事務職で働けることになりました。
新しい職場は 夏は涼しく、冬は暖かく、自分のタイミングでお茶が飲め、トイレに行ける・・・
ああ、天国だ・・・
小さな会社で和気あいあいとした雰囲気。
興味の持てる仕事を教えてもらい、たまに銀行や物件にも外出。
お昼ご飯もちゃんと食べられる!
ピアノ指導のことも理解してもらえて、最初のうちは残業もなく。
夢のOLライフのはじまりはじまり・・
ピアノ指導も、極細々と続けてはいるものの、気づけばどんどん音楽の世界から遠のいていた私。
その後どうなったかというと…
人生の停滞期
経理事務の派遣社員になって1年半がすぎました。
勤めていたのは小さな不動産関連会社。
その会社は、派遣→正社員が一般ルートのため
派遣と社員の仕事量や責任の重さはほぼ変わらず。



むじかさん ならできるよね?
こう言われると変なプライドが邪魔して、つい引き受けてしまい、自分の首を絞める締める。
いつの間にか、課長代理と同じくらいの分量と責任の仕事を与えられ
後から入ってきた新人社員の指導までも任され、
気づけば、残業残業の日々になっていました。
当然、生徒さんの募集もできるはずなく
生徒数は片手の数ほどに減っていました。
ピアノ指導の収入はスズメの涙だし、
残業代はきちんと頂けていたので、断りもせず働き続け、
気づけば「会社へ行って、帰って、寝るだけ」の日々になっていました。
せっかく自分で買った大事な大事なグランドピアノも、
レッスン以外ではほとんど蓋を開けることができなくなっていました。
_________________
もちろん思った通り、会社に勤めて、
勉強になることも沢山ありました。
経理実務はもちろん、電話の取り方、お客様との話し方、メールの仕方、お金に関する一般的な感覚、PCスキル、銀行との取引、などなど、どれをとっても学ぶべき内容で、無駄なことなんかありませんでした。
会社の人たちもみんな良い人で、会社にいて仕事をしている間は楽しいんです。
でも・・・・・



私、ピアノで大学院まで出たのに、今はピアノも弾かず何をしてるんだろう…



貧乏に耐えながらあんなに頑張ったのは、何のためだったんだろう…



でも、親や周りが望む「普通の」生活がちゃんとできているし、
仕事だって苦痛ではない。恵まれてるはずなんだ。



ピアノを弾くには今の仕事を変えるしかないけど、そんなことして何になる?せっかく両親だって安心してるのに…
いつしか、そんなことばかり、
ぐるぐるぐるぐる 考えるようになっていました。
唯一ピアノに触れられる日曜日にピアノを触ってみても、
思い通りに動かなくなった自分の指に、悲しさしか感じられず。
かといって、唯一の休みの日曜日に、朝から晩まで毎週練習しよう、という体力も気力も持てませんでした。
生徒さんへのレッスンは、変わらず熱心に行っているつもりでしたが
自分がほとんどピアノを触っていないので、中級レベル以上の生徒さんに対して、
以前に比べて具体的なテクニックのアドバイスもし辛くなり、生徒さんに対しても、申し訳ない気持ちが募る一方。
お金の心配はもうありませんでした。
それなのに、全然幸せな感じがしない。
自分は一体、どこへ向かっているのか、何がしたいのか、分からなくなってしまいました。
先ほどのようなことをまたぐるぐる考えて
どうしたらいいのか分からず、自分ではどうにもできませんでした。
そのまま、時間だけが過ぎていきました。
そんな私に、大きな出来事が訪れます。
人生の流れが変わった、まさかの出会い
現状を打破する気力も体力も、もはや残っていなかった当時の私
1人でいると暗くなるばかりだったので
気持ちを紛らわすために日曜日はほぼ外出していました。
友人だと、甘え心から暗い話になってしまいそうだったので
SNSで見つけた料理教室や、イベントなど、
知らない人たちの集まりにだけ参加して、
その場その場で気を紛らわして過ごしていました。
ある時、とある異業種交流会に参加しました。
自身で事業や副業をしている人なら参加可だったのですが
参加者は立派な経営者のおじさまやお姉さまばかり。
ああー完全に場違いなところに来てしまった・・・と思っていると
年齢の近そうな男性が声をかけてきました。
聞けば、2年前に脱サラして、資格を取得して
つい先週くらいに開業したばかりの個人事業主とのこと。
周りの経営者さんたちとの落差にとまどっていた私は、
その男性に親近感がわき
その場はずっと2人で話をしていました。
連絡先を交換し、それから何度か会うことになりました。
彼とは、仕事に対しての考え方似ていて、
仕事の話をしていると盛り上がって前向きな気分になれました。
その後、あれよあれよという間に交際となり、
出会ってわずか半年ほどでプロポーズを受けました。
ちょうどそのころ、親からも



そろそろ結婚は?
はやく結婚したらそんなに残業しなくてもよくなるんじゃない?
と、結婚圧を受けていました。
(両親は私のためと思って言っている)
しかし・・・・
彼はまだ開業したばかりの個人事業主。
収入はゼロに近い状態でした。
実のところ性格面等でも気になる点があり・・・
正直、すごーーーーーーく迷いました(爆)
ですが、既に八方塞がりだった私。
実はその頃、プライベートでも色々悲しいことが重なっており
自尊心という自尊心が地面を突き抜ける勢いで下がっていました。
それなのにこの人は、
こんな私と結婚したいとか言ってくれている・・・



こんなありがたい話は、そうそうないだろう…



結婚したら、親も安心してくれるだろう…
とても迷いましたが、悩んだ末に、
仕事の考え方、話し合いがきちんとできる点などを考えて
結婚を「決意」しました。
彼は地元で生まれ育ち、地元を拠点に仕事をしているので
地元を離れることはできないと。
なので私が東京を離れる他ありません。
生徒さんたちへの未練はありましたが、
子どもたちも既にけっこう大きくなっていたので、
私の信頼する先生のところへ紹介で移る等で話がまとまりました。
唯一、大人の生徒さんが、
わざわざ私の嫁ぎ先まで通ってくださるとのこと。
なんとありがたい・・・・
そんなわけで、私は2年半続けた派遣の仕事を退職し、
教室もたたみ、
引越しをし、入籍をして、
なにもかも新しい環境へ、身を投じたのでした。
ここから、少しずつ
再出発のきっかけ
時は20XX年。新生活がはじまりました。
夫は「たまには人生、ゆっくりするのも大事だし
しばらく仕事しなくていいんじゃない?」
と言ってくれました。
その言葉に甘え、引越しして少しの間、
私は専業主婦として過ごしていました。
手の込んだ料理を作ってみたり、
家の片づけをしたり、
久しぶりに友人に会ったり、
のんびりと過ごしていました。
最初の2ヶ月は、久しぶりに心が緩むような、穏やかな時間でした。
ですがしばらくすると・・・
夫の収入はまだまだ2人で生活するには足りなかったので
預金はどんどん目減りして、またしても「貧乏不安症」に。
やっぱり、私も仕事するしかない!!
派遣などの仕事を探してみましたが、
住んでいる地域ではほとんど募集がなく、条件もあまりよくなく・・・
夫は「前の仕事やっててあんなに気持ちが死んでたのに、
また同じような仕事すんの?意味なくない?ピアノ教えた方がよくない?」
と簡単に言うのですが・・・
そりゃーーお金の心配がなければ、
私だってそうしたいよ!!
とケンカになったこともありましたが・・・
この人を選んだのは自分。
人のせいにしてても仕方がありません。
夫の言うことに、同感な部分もあったので、派遣の仕事探しはいったん諦め
地元の求人誌などを日々眺めていました。
すると、偶然にも、隣町のセレモニーホールで
ピアニストの募集を行っているではありませんか!!
学生の頃、単発で結婚式やイベントで演奏の仕事をしたことがあり
なんとなく仕事のイメージが沸きました。
見つけた瞬間、心がパッと明るくなりました。
これ、やりたい!!
通勤時間はけっこうかかるのですが、迷いなく面接に行き、
ちょっとした初見視奏を披露し、無事に採用してもらえました。
ただ、仕事の特性上、
仕事が入るのは直前で
あまり稼働日も多くないとのこと。
この仕事だけではさして生活費の足しにならないのですが、
かといってフルタイムの仕事に就くことはできなくなったので、
改めて、生徒さんを募集し始めることにしました。
自信喪失から這い上がる
また一から、生徒さんを探すところから始めよう。
そんな気持ちで、友人に教えてもらった「ピアノ教室net.」に登録してみました。
ですが、もう何年も、新規の生徒さんの募集を行っていなかったため、
何をどう準備していいやら自信が持てず。
なので
改めて自分の今までのやり方を振り返ってみよう
と・・・
広告の書き方を勉強してみたり
体験レッスンのアイディアを練り直したり、
レッスンの月謝や、レッスン体制も見直しました。
規約なども作りました。
もちろんそれらを頑張っても、すぐに申込は来ません。
しばらく、(あるかどうかわからない)レッスンの方法を勉強するだけの日々が続きました。
そうして過ごし、数か月後、念願の体験レッスンのお申し込みが・・・!
一度、他のお教室へ体験に行ったものの、
その時は入会に至らなかったという
小学生の男の子でした。
かなり久しぶりの体験レッスン・・・
すごく心配だったのであれこれと準備をして挑みました。
正直、緊張のあまり、自分としてはスムーズな流れで行えなかったのですが
その場でご入会とのお返事をいただきました
数年ぶりの、新規の生徒さん。
たった1人ですが、私にとっては確かな「再スタート」でした。
子どものレッスンでの発見
久しぶりの子どもへのレッスン。
どうすれば、飽きずに楽しめて、ちゃんと身につくレッスンになるだろう?
改めてそんなことを考えながら、本を読んだり、レッスンアイディアを練ったりして、学び直しました。
そんな中、先日入会してくれた生徒さんは毎回のレッスンをとても楽しみにしてくれていたようで、
親御さんが「ピアノ教室net.」に素敵な口コミを投稿してくださいました。
すると、ちょうど時期がよかったのか、口コミを見た方から体験レッスンの申込みが続き、ありがたいことに複数名が入会。
中には、お友達を連れてきて一緒に入会してくださることも。
沢山のいろいろなお子さんと接する中で、小学校勤務の経験で得た知識もよみがえり、
- 一人ひとりの得意・苦手、興味、性格、特性を見極めること
- 多くの子どもが「夢中になること」や「興味を持ちやすいこと」の共通点
が、だんだん見えるようになってきました。
その中で、ピアノレッスンが子どもたちに与える影響について、改めて深く考えるようになっていきました。
大人のレッスンでの発見
「ピアノ教室net.」で口コミが好評になってきたことで、お子さんだけでなく、
保育士・教員試験対策で初めてピアノに挑戦する大人の方や、
昔習っていたピアノを再開しようという方も、少しずついらっしゃるようになりました。
元々、都内にいた頃は、大人の生徒さんが圧倒的に多く、
初心者の方はもちろん、ショパンエチュードを趣味で弾くような方もいました。
でも、色々な大人の生徒さんと関わるのは久しぶり。
なので、改めて率直なご意見やご希望を聞いてみることにしました。
そうして分かったのが、
大人の生徒さんがレッスンに一番求めているのは、
「自分の疑問や問題点に的確に応えてくれること」 だと。
特に“再開組”の方は、ピアノに対して強い意志と願望を持っています。
その想いを尊重し、できるだけ最短距離で願いを叶えるお手伝いをすること。
それが大人のレッスンで最も大切なことなんだと、改めて感じるようになりました。
さらに、多くの大人の生徒さんは、
本業や子育て、家事の合間にピアノを続けています。
「時間がないけど、でもピアノはやりたい。」
そんな葛藤は、私自身もずっと抱えてきたので、痛いほどわかります。
だからこそ、限られた時間でも気持ちよくピアノを続けられるように、
どうすれば効率的な練習やレッスンができるか。
どんな声かけがモチベーションを支えられるか。
を、沢山考えるようになりました。
皆様のおかげで、日々のレッスンの中でいろいろなことに気づかされ、
観察→研究、 観察→研究、を重ねる日々を過ごしているうちに
生徒さんがまた新たな生徒さんを紹介し連れてきてくれるようになり、
ついに…
教室ランキング全国1位に
ピアノ教室net.サイトにて
ピアノ教室全国ランキングにて1位を頂戴しました。
(2015年8月~2016年10月まで)
教室名・所在地を伏せている理由(タップで表示)
※現在当ブログは、以下の理由から、匿名にて活動しています。
・ピアノでは、学歴や演奏歴が先に注目されがちだけど、先入観なくブログをご覧いただきたい。
・過去のレッスン事例を具体的にご紹介したく、生徒さんのプライバシーにも配慮したい。
・今後はオンラインでの活動を中心にしたい
・写真、目立つのが苦手^^;
そのため、教室の正式名と、所在地詳細は伏せさせていただいています。
もし今後、何らかの形で実名活動する場合は、改めて写真も掲載いたします。
それまで、文字でもお役に立てますよう、丁寧にブログを綴っていきたいと思います。


もちろんこれは、あくまで「ピアノ教室net.」のサイト内でのランキングであり、実際の全国でのランキングではありません。そのことはこれからも心に留め、驕ることのないようにしていきたいと思います。
ですが、この時の経験と、発見は現在の私にもつながっている大事な出来事でした。
そう、いろんな意味で…
結局「この場所」に戻ってきた
私の価値観の軸となった、大きな出来事
「ピアノ教室net.」での評価は私の自信にもつながり、沢山の生徒さんにお越しいただいて、忙しくもとても充実した日々を送っていました。
おそらく、地面にめりこんでいた自尊心も、少しずつ上がってきていたのでしょう。
伴って、夫とのケンカが増えるようになってきました。
夫曰く、理由はこうです。
「最近いつも仕事のことばかり考えていて、家を守り切れていないのでは?」
「そろそろ子どもを作らないと、年をとるのでは?」
また、私がルンルンと「もっと生徒さんのために色々頑張りたい」と、仕事について前向きなことを語ると夫は「君はそこまでしなくていいよ。」と言うのです。
結婚当初、「普通の仕事じゃ、前と同じだから、ピアノを教えたら?」と確かに言ってくれていた夫。それなのに、前と言っていることが矛盾してるような?はて?
さらに、私に追い打ちをかける出来事がありました。
「来年、義実家を建替えし、二世帯にして、そこに住む。」と。
「いつか義両親と同居する」可能性については、結婚当初からぼんやりと言われていました。それが、私の仕事が軌道になってきたタイミングで、すぐ言うなんて…
夫は「ピアノを続けたければ、二世帯住宅にレッスン室は作ってあげるから、それなら熱心な生徒はなんとか通ってくれるんじゃない?」と言います。
でも、沿線も変わってしまうし、現実的に子どもの生徒さんたちが毎週通える距離ではありません。
しかも、募集を始めてからまだ1年半程度。そんなすぐに、教室の場所を移動してしまう先生なんて、生徒さんたちからしたらどう感じるか?
もちろんまだ、1人で生活できるほどの収入はなかったため、迷いはありました。
それに、一度は自分で決めて結婚した相手。
私の理想ではないけど、仕事のことも考慮してくれてはいる…
そんな中で、決定的な出来事が起こります。
夫は家事について、少しこだわりが強い部分がありました。
普段は私がそれを引受けていましたが、仕事で忙しくなってきたのもあり、あくまで夫のこだわりの部分だったので「今まで私がやっていたけど、〇〇のこだわりだから、たまに替わってもらえない?」と言ったところ、夫は激怒し「それは俺の仕事じゃない!!」と。
これで私の腹は完全に決まりました。
「家のことが守り切れていない」「君はそこまでしなくていい」「(自分のこだわりのくせに)家事は俺の仕事じゃない」という人の義実家に一緒に住んで、レッスンを継続できても、その先の未来はおおかた想像がつきます。
そうして、結婚からわずか2年で離婚に至ります。
どちらかが、一方的に悪いとは思っていません。
元夫はきっと、「自尊心が低く弱った女性」を助けるのが好きなタイプだったものと思います。それが、仕事の回復により、だんだんと私が自己主張するようになってきたため、合わなくなってしまったのでしょう。
最初から「結婚を決意」などと言う違和感を確かに感じていたのに、当時の私はその部分を見ないようにしていました。
これは、私の過ちでもあります。その点は、本当に申し訳ないと思っています。
元夫の義両親はとても良い方々で、離婚でたくさん迷惑をかけてしまい、それも本当に申し訳ないです。
思えば私は、これまでの人生で「自分の心の声」に、蓋をして進んだ結果は
全て失敗し、結局周りにも迷惑をかけることとなってしまいました。
ピアノのことも、結婚のことも。
この離婚によって、強く強く、そのことを実感しました。
なのでこれからは絶対に、「自分の心の声」を無視せずに、自分に正直に生きて行こうと、固く決心することにしました。
これに気づかせてもらえたという点で、この結婚・離婚は本当に意味のあることでした。
両親との関係にも変化が
離婚を経て、両親の私への接し方にも、少し変化がありました。
昔の両親は、心から私の幸せを願って、「ピアノよりも安定した普通の仕事に就いてほしい」「女性として幸せになるには、やっぱり結婚」といった考えを持っていました。
それには理由がありました。
私が生まれる前、父は一度会社の倒産を経験しており、その出来事から「安定した仕事こそが大事だ」と強く思うようになったのだと、今ならわかります。
そんな両親も、離婚直前の私の悩みや話を聞いていたからか、
離婚後は、「普通の安定した幸せ」にこだわるような言葉をかけてくることがなくなりました。
ピアノの話にはやっぱりあまり興味はないようですが(笑)、
今はお互いの健康を気遣い合うような、穏やかで良い関係です。
両親には、まだまだ元気で長生きしてもらいたいです。
本当に、人によって価値観や幸せというのは千差万別なんですよね。
例え親子や家族であっても…
覚悟を決めて、自分の足で歩く
離婚において、一番心配だったのはやはり収入です。
離婚時のピアノ指導での収入は、1人で生活するには、全然足りませんでした。
どう考えてもピンチなのですが、この時の私は不思議と、
「一切のしがらみから解放されて、本当に自由になった」気持ちが強く、
不安よりも、清々しさとワクワクが勝っていました。
独身時代に少し貯めてた貯蓄もあったので、最初の1年くらいはまあなんとか過ごせるだろうと。
とにかく1年以内になんとか軌道にのせなければ…!!
取組んだ3つのこと
離婚したことで、家事の時間が減り、今までよりも時間が増えました。
そのため、お金はないながらも、色々なことにチャレンジする時間がもてるようになりました。
離婚後、最初に行ったことは、次の3つです。
① 簡易HPを作って、集客の本格化
それまで私は、自分のHPを持っておらず、集客はもっぱら「ピアノ教室net.」でした。
今どき、ちゃんと集客するなら、HP必須だよね~ と、
まずは無料で簡易なHPを作り、Googleマップも登録して、本格的に集客を考えだしました。
② ブログの再開
実は大学院時代やっていた「おしえるまなべる」でも、ブログ機能というのがあり、
自分のレッスンの紹介や、短期留学記などを書いて、その文章を見てきてくれた生徒さんもいました。
この時はまだ、このサイトではなく、無料ブログサイトで書いただけでしたが、
文章を書く基盤になったと思います。
③ コーチングとの出会い
たまたま友人が「コーチング」というもので起業を考えているとのことで、
コーチングの練習モニターになってもらいたい、という話がありました。
コーチングとは、対話を通じて相手の目標達成や自己成長をサポートする手法のこと。
コンサルとは、主に「アドバイス」をすることですが、
コーチングとは「相手の中にある答えを引きだすサポート」です。
コーチングが私に与えてくれたもの
この3つの中で、最初に私に大きな影響を与えてくれたのが「コーチング」です。
世間でもイメージされているとおり、ピアノ教室だけで、1人暮らしで生計を立てて
何年も生きていくというのは、そう簡単ではありません。
「近所のピアノ教室の1つ」では、なかなか生き残れません。
そのため、友人には、
「ピアノ教室1本でやっていくために、自分にできることが明確になればいいな」と話しました。
コーチングをしてくれたのが大学時代の友人なので、お互いに近況報告をしながらも
自然と対話を深めていくことができました。
原点に戻って見つけた、小さな強み
思い返せば私自身、ピアノで大きな分岐点になったのは
「フィンガートレーニングとの出会い」でした。
フィンガートレーニングを教えている先生というのは、
私が大学生だった当時も、ほとんど見かけることがありませんでしたが、
それから10年ほど経った離婚後の世界でも、やはりあまり普及はしていませんでした。
「私自身は、間違いなくフィンガートレーニングに救われたのに、なんで普及してないんだろう?」
純粋にこんな疑問が沸き、「じゃあ、私がやればいいのでは?」と、思うようになりました。
フィンガートレーニング、再開
フィンガートレーニングを指導の軸に——と思ったものの、
私自身、フィンガートレーニングを習っていたのはもう10年も前。
詳しいやり方なんて到底覚えていないので、とりあえず自分が再度習おうと考えました。
大学の頃お世話になっていたF先生。
名前はハッキリ覚えているのに、残念ながら連絡先はガラケーと共に消え去り…。
「今どきネットで調べれば出てくるでしょ!」と、しらみつぶしに検索しましたが……見つからず。
独学での再挑戦と、新規開拓
仕方ないので、F先生が指導の基盤としていた
御木本澄子さん著『正しいピアノ奏法』を、再度、端から端まで読み漁りました。
そして、眠っていたトレーニングボードを引っ張り出し、
自分で復習することに。
F先生の情報は出てきませんでしたが、
「フィンガートレーニング」で検索すると、
藤本雅美さん著『ピアノのためのフィンガートレーニング』という本に出会えました。
また時代の流れで、
「アレクサンダー・テクニーク」や「フェルデンクライス」など、
直接的にピアノではないけれど、“身体への意識”を高める概念も登場していました。
これらも、興味を持ってどんどん勉強するようになりました。
フィンガートレーニング、始めました。
勉強のアウトプットとして、
フィンガートレーニングのことを、無料ブログに綴るようになりました。
ついでに、冷やし中華ならぬ、
「フィンガートレーニングはじめました」
と、HPとブログでアピールしてみました。
すると、ピアノ奏法に悩みを抱える大人の方が、少しずつ集まるようになりました。
早速、御木本先生や、藤本先生の手法にて、フィンガートレーニングのレッスンを開始。
1年以上続けてくれた方には、ほとんど例外なく、良い変化が見られました。
フィンガートレーニングがいまいち普及しない理由
ところが。
集まってくれた方の約3割は、半年以内にギブアップ。
そして残りの7割も、少しの変化を感じられたあと、まだ必要なトレーニングはたくさんあるのに、
だんだんとトレーニングをやりたがらなくなり、いつの間にか「普通のピアノレッスン」に移行。
理由は明確です。
フィンガートレーニングはつまらないから(爆)
世の中で、あまり普及しなかった理由が、ここでハッキリとしました。
やっぱり、楽しかったり、目標がないと続かない
私自身が大学生の頃にフィンガートレーニングを習っていた時は、
とにかく「ピアノ上達したい!!」の一心だったので、
楽しいとか、つまらないとか、そんなことは感じていませんでした。
でも、思い出しました。
フィンガートレーニングのレッスン中、
たま~に居眠りしそうになってた自分がいたことを(笑)
フィンガーを一緒に始めた友人が、先にフェードアウトしたことを。
フィンガートレーニングは、地味ですぐに成果が見えません。
たとえるなら筋トレ。
筋トレだって、1週間くらいなら頑張れるけど、
1年続けるには、よほど強い意志や、明確な目標がないと、難しいですよね。
(……はい、私のことです)
で、ひらめいた。
もしかして──
「体の使い方は、まず“曲の中”で実感するべきなんじゃ?」
最初から「体の使い方」を意識して、曲を弾く。
その中で、「あ、この動きがうまくいかないな」とか
「この音、鳴らしにくいな」と感じた時に、初めてフィンガートレーニングの出番にする。
そうすれば、“目的”と“成果”が分かりやすいから、トレーニングも続けやすいのでは? と。
フィンガートレーニングを、いかすには?
そこで、私は改めて感じるようになりました。
御木本さんの本でも、藤本さんの本でも、
「トレーニングの仕方」は書かれている。
アレクサンダーテクニークやフェルデンクライスでも、
「身体へのアプローチ方法」は分かる。
でも、実際のピアノで、曲を弾くときに、それらをどこに、どう使えばいいの?
その「つなぎ方」については、どこにも書かれていないんです。
抽象的になりやすい、ピアノレッスン
この感覚、どこかで……そう、学生の頃。
海外の先生や、著名なピアニストの公開レッスンを受けたときに感じた疑問と、同じものでした。
彼らはとても素晴らしいインスピレーションを与えてくれます。
- 「ここは、フランスの輝く太陽のような音色で演奏するの」
- 「そこは、音楽がいったん収まっているの。ちゃんと、収まるように弾いて」
…うん、イメージはできる。だけど、
「具体的にどうやって?」
実は、F先生のレッスンもそうでした。
フィンガートレーニングを一緒に行って、
トレーニングの結果がどう改善したかまでは記録を取ってくれたけど、
「それを曲のどこで、どう活かすか」という部分までは、やっていませんでした。
それでも、当時の私のピアノは明らかに変化していました。
それは、I先生のレッスンとの相乗効果だったのかもしれません。
ふと、こんなことを思いました。
もしかして、「ピアノで曲を弾くときに、どういう身体の使い方をすべきかを言語化できる人」
って、少ないのかも?
だったら私が、F先生の土台や、I先生のアプローチを融合させて、
もっと言葉で、具体的に、わかりやすく伝えられる存在になれたら──
ピアノを演奏しながら、身体の使い方を変えていく
それが分かってから、私は「フィンガートレーニング」を主にするのではなく、まず
「ピアノを弾きながら身体の使い方を改善する具体的な方法を言語化できないか」を探ることにしました。
自分がピアノを弾く時、思い通り弾ける時に、
・どんな感覚がするか
・どこをどう使っているのか
・ピアノをどう扱っているか
これらを、可能な限り言語化してみようと考えました。
そして、レッスンで生徒さんに伝え、生徒さんの感覚もなるべく聞くようにしました。
そうこうしているうちに、最初からフィンガートレーニングに取組まずとも
意識とコツさえつかめば、ピアノを弾きながら、身体の使い方は少しずつ変えていける、
ということが生徒さんのレッスンの結果としてあらわれるようになりました。
こうして誕生したのが、今の私の指導の方法となっています。
「まずはピアノを弾きながら、自分の身体に向き合い、方法を知って、変えていく」
そのうえで、必要な場面に応じて、フィンガートレーニングという“筋トレ”を取り入れる。
これで、目的とモチベをもって、ピアノ上達に向かいやすくなる。
教室運営に、次の選択肢
教室が軌道に乗ってきた
離婚の約1年後。
「ピアノを演奏しながら、身体の使い方を変えていく手法」を指導に取り入れたことで、
新規のお問い合わせが増えただけでなく、既存の生徒さんも長く通ってくれるようになり、
教室は常に満席が続くようになりました。
ひとりで生活するには困らない収入となりましたが、代償として週6日稼働の日々。
ほとんど休みが取れなくなり、再びピアノを弾く時間や研究の時間がなくなっていきました。
さらに、もし自分が病気になれば、すべてのレッスンがストップしてしまう――
そこで、信頼している知人に週1回のレッスンをお願いすることに。
講師の先生と二人三脚
講師の先生とのレッスン体制は、私にとってとてもありがたいものでした。
それまで週6日レッスンで、自分の練習や研究の時間が取れない生活でしたが、少し余裕ができ、生徒さんにより丁寧に向き合えるようになりました。
彼女はもともと「いつかピアノを教えたい」と話してくれていた方で、
生徒さんに対してもとても丁寧に、やさしく接してくれる方でした。
実際に、彼女のレッスンが大好きな生徒さんもいて、心強い存在でした。
生徒さんへの教え方を一緒に研究したり、教室のこれからをどうやって盛り上げていこうかなどを話し合い、とても充実した時間も過ごせました。
そのおかげで、教室は順調に運営を続けられていました。
しかし…
世界を揺るがす出来事
【世界を揺るがす出来事】
世界が震撼する出来事が起こりました。
そう、COVID-19の世界的大流行です。
日本では「緊急事態宣言」が発令され、学校は丸々お休み。
外出すら、ままならない世の中となりました。
当時は、感染すると死亡率も高く、感染する・感染させるは絶対に許されない、という空気があり、「教室のせいで感染させてしまった」という事態になることが心の底から恐ろしく、
教室でのレッスンは全て取りやめる決断をしました。
会社などでは、リモートが推進され、私もすぐに、オンラインレッスンできるように行動しました。
実はそれまでは、ネットやパソコンはあまり得意ではなかった私。
ですが、コロナはいつ終息するかもわかりません。
とにかく必死にオンラインレッスンについて勉強しました。
講師の先生にも、当然オンラインレッスンのやり方を共有し、
webカメラなどを教室で用意して、オンラインレッスンをお願いすることにしました。
これが、結果的には私の価値観を変えることとなります。
オンラインレッスンのメリット
最初は右往左往しながら、手探りで始めたオンラインレッスン。
けれど慣れてくると、講師側・生徒さん側の両方に、予想以上のメリットを感じるようになっていました。
講師側のメリット
- 講師の先生が自宅からレッスンできる
- 生徒さんが急な欠席をしても、時間が有効に使える
- 少し体調を崩していても、レッスンできる
- 生徒さんの自宅の練習環境が分かり、それに合わせた具体的なアドバイスができる
生徒さん側のメリット
- 移動時間ゼロ
- 遠方からでもレッスンを受けられる
- 親御さんの送迎が不要
- 天候や交通状況に左右されない
- 隙間時間でもレッスンを受けられる
- 先生の手元も拡大撮影でじっくり見れる
- 自分の姿も映るため、姿勢などを客観的に確認できる
- 大事な部分をすぐに録画&見返せるので、復習しやすい
- 先生の楽譜のメモを自分で書き写すことで、自然と復習になる
- まっさらな楽譜に、画面上で書き込み・保存できるので重要ポイントが明確&楽譜も綺麗
- 「これ」「あれ」といった指差し指示が、「この4分音符」と言語化され、理解が深まる
これらは、生徒さんから実際にいただいた感想です。
生徒さんたちからも、予想以上に好評で、
コロナが落ち着いたあとも「対面とオンライン、両方の良さを活かしたい」と、併用を希望される方が多くなりました。
教室運営の面でも、今までは部屋がひとつなので、講師の先生か私のどちらかが使うしかありませんでしたが、
オンラインを活用すれば、2人がそれぞれ自宅からレッスンできるようになります。
つまり理論上は、生徒さんの受け入れを2倍に増やすことも可能なわけです。
さらに私自身にとっては、
「絶対に体調を崩せない」から「少し不調でもレッスンができる」という状況になったのは、精神的にも非常に大きな変化でした。
体調の急激な悪化
コロナ発生から1年ほど経ち、「そろそろ共存を」といった空気が社会に広がり始めました。
教室でもやはり、対面レッスンの復活や発表会開催希望の声がチラホラ出るように。
もちろん、私もできる限り応えたいと思いました。
しかし、教室側としては感染対策が欠かせず、対面レッスンでは、都度の消毒や感染対策など、予想以上に手間とコストがかかることに気づかされました。
特に発表会の準備は、かなり神経を使うものでした。
無理してレッスンに来た直後「実はコロナになってた」と判明する生徒さんがいたり、当日に発熱で欠席になる方が出たり。
入場制限や全員の検温など、かなりの対応が必要になりました。
気づかずうちに、かなりの心的負担がかかっていたのでしょう。
発表会が終わった後から、約3年もの間、原因不明の体調不良に悩まされることになりました。
・夜になると動悸や息苦しさで眠れない
・元々持っていた自己免疫疾患の悪化
・過敏性腸症候群になり、対面レッスンが不安
・おにぎり1つ食べられないほど胃腸が絶不調に
検査しても原因不明。
不思議と、レッスン中はなんとか過ごせていたんです。
なので体調を押してレッスンを続けていました。
ですがレッスンが終わると、急激に体調が悪化。
レッスン以外、ほとんど何もできない日々を過ごしました。
価値観の変化
こうした状況を経て、私は自然と「オンラインをもっと活用していきたい」と思うようになりました。
これは時代の流れや、便利だからという理由というよりも、
自分の体とうまく付き合いながら、音楽を継続して伝え続けるための選択でもありました。
講師の先生にとっても、生徒さんを増やすチャンスになりそうということで、
2人でたくさん相談を重ね、オンライン推進に取組みました。
私は、オンラインレッスンがより便利に、そして有意義になるようにと、
新しいツールを試したり、自分のオンラインスキルを磨いたりしていきました。
その結果、私の生徒さんには「オンライン派」が増え、遠方から受講してくださる方も増えていきました。
一方で、講師の先生の生徒さんには「対面派」が増えていきました。
先生自身も、私の方針に合わせてくれていましたが、本音では「やっぱり対面が好き」と思っていたのかもしれません。
教室は一つしかなく、場所は私の自宅。
彼女が教室で対面レッスンを行えば、私はたとえオンラインでもレッスン場所を確保できません。
このような環境上の制約もあり、講師の先生が引越すタイミングで、契約を終了することになりました。
元々、あまり身体が丈夫ではない私にとって、「絶対に体調を崩せない生活」が、「体調とうまく付き合いながら働ける生活」になることは、大きな意味があることでした。
オンラインという手段は、色々な制約を抱える誰かにとっても、新しい可能性を開いてくれるものだと感じています。
これからの夢
関わってくださった皆さまのおかげで、私は現在も教室を続けることができています。
ここまでの経験を通じて、今後「どんなふうにピアノと関わっていきたいのか」が、少しずつ明確になってきました。
1.「ピアノを通じて幸せになりたい、自己実現したい」方(過去の私もそうだった)を特に応援したい
2.そのためにまずは「色々な方のピアノでの困りごと」の解決を応援したい
3.上記ができるように、自分自身の勉強や演奏を続けたい
4.自分自身の勉強や演奏を続けるために、健康と時間とお金のバランスを整えたい
これまでの人生で、「満足するまでピアノを練習・研究できる時間」を持てたことはありませんでした。
けれどその制約があったおかげで、短時間でいかに効率よく上達するか、
そして「上達の本質とは何か?」を真剣に考える機会を得ることができました。
とはいえ、その道のりはなかなか辛いものでした。
気づけば、人生も折返し地点を過ぎ、
「もし誰かがこうしたことをもっと早く丁寧に教えてくれていたら、
もっと若いうちに、いろんな曲や研究に挑戦できていたかもしれない」と思うこともあります。
そして私はずっと、「こういうふうに生きたい」という気持ちと「現実の制約」との狭間で悩み、試行錯誤を繰り返してきました。
だからこそ、同じように「ピアノを通じて、もっと自分らしく生きたい」「夢に近づきたい」と願う方の力になれたら、と心から思っています。
そして私自身も、もっとピアノを弾きたいし、もっと深く研究して、さらに上達したい!
その夢を叶えるためにも、オンラインという形を活かしながら、
心身に無理なく、パフォーマンスを最大化できる環境を整えていきたいと思い、このブログで、新しい形での発信やサービスに少しずつ挑戦しています。
もちろん、現在通ってくださっている教室の生徒さんとの時間は、かけがえのない大切なものですし、
対面レッスンでしか得られない音色の精度、生徒さんとの細かなやりとり、空気もあると思っています。
なので今後は、オンラインと対面、生徒さんにとっても私にとっても、よりメリットが多く、長く続けられる学び方に焦点をあてられるように、活動をしていきたいと思います。
このブログやサービスを通じて、もし共感してくださる方と出会えたら、
ピアノを通じた“あたたかなつながり”を、少しずつでも育てていけたら嬉しいです。
まだまだ夢の途中ですが、ひとつずつ積み重ねながら、実現していけるように頑張りたいと思います。
長文をお読みいただき、ありがとうございました!