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プロフィール

サイトへのご訪問ありがとうございます。
管理人&執筆者のむじかです。

この記事の執筆者

目次

略歴

11歳でピアノをはじめ、高2から音大を目指してなんとか合格。

入学時は「下手くそ」と言われる腕前。
バイト三昧の貧乏苦学生ながら、ピアノ演奏の研究を重ね、少しずつ成績が伴い大学院へ進学。

卒業後は小学校教員、不動産会社経理職を経て、現在は音楽のみで生計を立てる。

リクルート運営「おしえるまなべる」にておススメ先生認定。
ピアノ教室net.にてピアノ教室全国ランキング1位の獲得経験あり。

自身が試行錯誤してきた経験と、150人以上の生徒さんと接した中で見えてきたピアノ上達の秘訣、解決策等をサイトにて紹介しています。

活動・受賞歴等

ピアノ&指導略歴

小5 近所の教室でピアノを習い始める

周りの5.6歳と同じ教本なのが悔しく、毎週10曲ほど自分で予習していた
楽譜のとおり音を弾いていけば〇がもらえたので面白くてたまらなかった

小6 すっかり天狗期

音楽の授業で先生の代わりに伴奏を任されるようになり、すっかり天狗に
将来はピアノの仕事がしたいと思うようになる

中2 印象主義音楽にハマる

ドビュッシーの「塔」を聞き感銘を受け無理やり発表会で弾く

中3 音大志望も、相手にされず

音大に行きたいと考えるが、親にも先生にも相手にされず

高2春 ピアノ教室移籍

音大進学を熱望しようやく教室を移籍
新教室で他の子のレベルの高さに愕然とする
1年以上かけて受験曲を練習
新しい先生に「まむし指」と言われる
速い曲を弾くと腕が痛くなる

高2夏 恩師に出会う

第一志望大の夏期講習に参加し、後の恩師に出会うも合格率50%と言われる

大1 第一志望ピアノ科に合格

最初の演奏試験で撃沈
恩師に「下手くそだから仕方ない」と言われ、死ぬ気上達を決意

恩師に校外レッスンの先生を紹介してもらうも相性が合わず、なかなか上達できず

大2 フィンガートレーニングの概念に出会う

自ら外部の先生を探す
そこで良い先生に出会い「フィンガートレーニング」という概念に出会う
御木本澄子氏「正しいピアノ奏法」を研究
レッスン代捻出のため極貧生活に突入

大3 成績急上昇期・ピアノ指導開始

フィンガートレーニングと良い先生のおかげで成績が急上昇
学内演奏会に選抜されるようになり、外部コンクールでも入賞できるように
極貧のためバイトを掛け持ち、ピアノの指導を始める

大4 大学院を目指す

恩師の勧めもあり、大学院を目指すようになる

院1 働きながら大学院通学

ハンガリーのリスト音楽院の夏季留学へ参加
ピアノ指導を本格化させ働きながら院へ通学

院2 地元・都内でソロリサイタル開催

地元と東京にて、ソロリサイタル開催
成績Sで大学院修了

24歳~28歳 ブランク期間

新卒で小学校の常勤講師に就職
ピアノを弾く時間が大幅に減る
その後、経理事務職に転職
残業残業でますますピアノが弾けなくなる

29歳 ピアノ再開

結婚のため埼玉に移住
ピアノ奏法の研究を再開する

30歳 フィンガートレーニングと指導の再開

藤本雅美氏「ピアノのためのフィンガートレーニング」を研究
少しずつピアノ指導も再開する

31歳 離婚と教室開業

仕事や人生観でモメて離婚
音楽で生きていくことを決意し、教室開業
自身が大きく救いになった「身体の使い方」を指導の軸にする

32歳 教室が軌道にのる

教室運営が軌道にのりはじめる
講師の先生を雇い、演奏活動を活発化

33歳 多忙・コロナ禍で価値観が変化

多忙になりすぎた頃、コロナが発生
自身の健康も不安定になり、仕事のあり方について見つめなおす

現在 将来の夢のために奮闘中

教室運営の傍ら「ピアノ上達の処方箋」サイトを運営


むじか

ここから下は長いですが・・・(作成中)
現在に至るまでの経緯や、私がどのような想いでピアノを続けているか綴ってみたいと思います。

ピアノど下手くそだった筆者が、コンクール入賞、音大院卒業、音楽で生計を立てられるようになるまでのお話です。
ご興味を持っていただける方はご覧くださいm(__)m

ピアノとの出会い~音大受験まで

ピアノとの出会い


平成間近のある日、私は田園風景広がる田舎町に生まれました。

小学生になると、女子の多くはピアノを習っており、休み時間に教室のオルガンで弾きあいをする友人を、羨ましく感じるようになりました。


ピアノを習いたいと両親にかけあったものの…

ピアノは将来の役に立たない


とのことで認めてもらえず。
長年のバトルの末、小5からようやくピアノ教室へ通えることとなりました。

・月謝が安い
・1人で通える近所
・キーボードOK


という条件をクリアした、若くて優しい先生の教室へ通えることになり、鍵盤数が88鍵に満たない、簡易なキーボードを買ってもらいました。

順風満帆(勘違い)の導入期

これまでの欲求不満を晴らすように、私はどっぷりピアノにハマりました。

開始時の教本は「こどものバイエル教本1

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周りの5、6歳と同じ課題が出されるのが悔しく、毎週自分で10曲くらい予習をしていきました。

レッスンは、間違えずに弾けたら合格というスタイルだったため、教本はどんどん進んでいきました。

基礎テクニックや、音の出し方、和声変化のことなどは言われた記憶がほぼなく

指は伸ばした状態で使っていて、親指はマムシ、肩や腕はガチガチでした。

当時の私はそれらに気付くはずもなく、レッスンに行くたび教本がどんどん進んで、先生も褒めてくれるので、私はますますピアノが大好きになっていきました。

同時に、勘違い天狗なっていきました…

ピアノ人生初の挫折

ピアノがとにかく大好きな勘違い天狗むじかは、小6頃には音楽の道にすすみたいと思うようになりました。

そのことをピアノの先生に話してみたものの、本気にされずw

高校生になって再度先生に相談したところ、突如先生が焦りだし、

今のままでは厳しいわね。。
私は教えられないし…


とのことで、音大希望者を指導している隣町の先生を紹介してもらいました。

新しい先生のレッスンでは、

もっと歌って!!

もっと明るい音を出して!

ここは場面の変化を表現して!

などと、初めて聞く指導ばかりで、カルチャーショックを受けました。

さらにショックだったのは、新しい教室の発表会で目の当たりにした、周りの生徒さんたちと自分のレベルの違いです。

みんな、本当にうまい。
同じくらいの難易度の曲を弾いているはずなのに、
なんだか分からないけどうまい。(当時の感覚)

勘違い天狗の鼻が、
根本からボッキリ折れた瞬間でした。

背水の陣で、高2から音大合格を目指す

折れた鼻に涙しつつも、当時の私は、そこから他の学部に進もうとは到底思えませんでした。

高2の夏、冬休みには
秋田から1人で東京へ出てきて、
あちこちの音大の講習会へ参加してみました。

いろいろな大学を下見したところで、
両親からさらなる試練が・・・

お金ないから私立音大は✖
浪人も✖

国公立の音大か
総合芸術大学いずれかに
合格できなければ
ピアノを
辞めなさい

新しい先生の元で
ようやくスタート地点に立ったばかりなのに

これは、絞られた大学のいずれかに合格しないと、
私の夢はわずか2年で散ってしまう・・・

なんとしてでも、

合格しないと!!

人生を変えた出会い 1

そして参加した、
とある総合芸術大学の講習会で、
後の恩師となるJ先生と出会いました。

先生は<題名のない音楽会>
にもご出演されていた有名なピアニストで、
こんな私にも熱心にレッスンをしてくれました。

大学の成績優秀者によるピアノコンサートを見に行った翌日、
先生のレッスンで私はこんな話をしました。

むじか

みんなすごく上手で、素敵でした。
あんなふうにステージでピアノを弾けたら
どんなにいいか・・・

J先生

「今のままでは合格率30%くらいかな」

J先生

でも、どんなピアニストも才能以上に努力してるよ。
君はどうする?

むじか

先生!!!



音楽の道を志してから、周りにはずいぶん「できるわけがない」と言われてきました。

先生にもてっきり、
君には無理と言われると思っていた中、
その言葉に感銘を受けた私は、
この大学に入って、J先生に師事したいと強く思うようになりました。

高校3年生の1年間は、大学に合格することだけを考え、
日々を過ごしました。
丸1年かけて課題曲を練習し、聴音のレッスンにも通いつめ、
学校の自習時間に楽典を勉強し・・・

それでも、最後の最後まで、

合格率は50%と言われていました。


結果は・・・・・

第1志望大 合格!!!!

この世の春!!!

しかし本当の試練はここから始まるのでした・・・

音大生1~2年

「君は下手だからしょうがない」

晴れて大学生となった私。

憧れの東京、自由な1人暮らし、
新しい友人、ピアノに触れる毎日、
全てがキラキラ バラ色生活✨

しかしそんな浮かれた気持ちは、
初めての実技試験で一気に崩れ去ります。


1年生で初めての実技試験の課題曲は
ベートーヴェンのピアノソナタでした。

他の学生より
明らかに易しい曲を与えられた私。
 

にもかかわらず、
自信のなさも相まって本番では散々な出来でした。

音楽性どころか、
指が動かない、
弾きなおす、
ミスばかり・・・

音大生としてありえない💦
日々に浮かれて、練習不足でもありました。


試験後、先生から講評をいただけるのですが、
練習不足を怒られるかと思いきや・・・

J先生

ま、君は下手くそだからしょうがないね。


そ、そんなハッキリ言わなくても・・・・( ;∀;)


これだけのことをやらかしておいて、
下手だからしょうがない はあまりにショックでした。ゲロー

2年生以上になると、試験は公開となり、
さらに成績優秀者は様々な演奏会に選抜されるようになります。

私が高校生の時に見た、あのコンサートもそうです。

ここで頑張らなければ、大学4年間、
表舞台に立つことなく終わってしまう・・・

もともと負けず嫌いの、私の雑草根性に火がつきました。メラメラ

フィンガートレーニングとの出会い

学校のレッスンだけでは、他の子に追いつけないと思い、
さらに学校外でも教えてくれる先生を探しました。
幸い、教え方の上手なピアノの先生に出会うことができました。

この時の私はまだ、マムシ指で、指は伸ばし気味でしっかり打鍵もできておらず、
手もあまり開かず(そんなに大きな手でもない)、
指の分離も脱力も全くできていませんでした。

改めて自分のテクニックの脆弱ぶりも痛感させられ
テクニックのみを教えてくれる先生も探して通いはじめ、
「フィンガートレーニング」という分野を始めて知りました。

先生に習う以外にも、
いろいろなテクニックに関する本を学校の図書館で借りて
夜な夜な研究したりしていました。

こうして努力を重ね、半年くらいで少しずつ自身の演奏の変化を感じるようになりました。

……… が、しかしまたここで壁にぶち当たります。

バイト三昧貧乏苦学生

お金がない!!

生活費は奨学金と、
高校生の頃にけっこう貯めていた貯金のみでまかなっていた中、
色々な先生のレッスンに通ったらば、
あっという間に貯金は底をつきました。(当たり前)

近所のファミレスや単発のバイトをしていましたが、
時給900円ほどでは、何時間も働いた分が
たった一度のレッスンでふっとんでいきます。=3

銭地獄、負のスパイラル


こんな生活がしばらく続きました。
おかげで1日105円(当時の価値)で生きる方法もレクチャーできます。。

私の貧乏性質素倹約の基盤はここで生まれました。


練習すべき時間に単価の安いバイトをしても、
時間かお金かの天秤になってしまう・・・

そこで私は考えます。

ひよっこピアノ講師の第一歩と錬金術

「ピアノうまくなりたい」
その気持ちだけで生きていた当時の私は、
ピアノと命のために、なりふり構っていられませんでした。

普通のバイトではやっていけないので、
ネットを駆使して単価の高いバイトを探しまくり、バイトしまくりました。

・携帯電話の価格調査バイト
・早朝のバスの乗車人数調査バイト(前日車中泊)
・ホットペッパー配り(懐かしい)

等々、ちょっと怪しげなバイトもやったりしましたw

しかし、イレギュラーばかりでは精力も奪われるので
なんとかルーティン化したいと思い、

自宅に近いコンビニで、
早朝と深夜のバイトを始めてみました。

もう一つ、思い切って
個人的にピアノの生徒を募集してみました。

ピアノを教えた経験は皆無でしたが、
それでも通常のアルバイトに比べると相場自体が高いので、
時給単価を高く設定することができます。

しかも勉強になって、通勤時間も節約できる。

インターネットで手あたり次第、
講師登録できるところを探し、登録してみました。

他のベテランの先生よりレッスン料を
だいぶ安く設定していたことと、
おそらく20代のうら若き女子大生だったからでしょうか…w
運良く、成人男性からの申込みがホイホイ来るようになりました。

成人男性を不可にしている女性の先生は多いのですが、
当時の私はとにかく必死だったのでどんな方でもウェルカム。グッド!

これで早朝にバイトして、
学校で朝練習し、(家はアップライトなので)授業に出席して、
夕方はピアノを教え、夜中にまた数時間バイトするというサイクルができました。

音大3~4年

少しずつ結果が出てきたピアノ

生徒様たちのおかげ様で、練習時間も確保しつつ
レッスン代や生活費もギリギリ稼げるようになり、
複数の先生のレッスンにも通い、
テクニックについての研究も重ねたりできるようになりました。

そうしているうちに、成績も伴ってきて
学内演奏会に選抜されたり、
コンクールで入賞できたりするるまでになりました。ひらめき電球


すると、大学の恩師が思わぬことを仰いました・・・・

大学院?!

先生

あんなに下手くそだった君が
この短期間でよくここまで上達したね。

先生

もっと長く、本気で勉強したらどうなるか楽しみだ。
留学か、大学院とかは考えないか?

 

留学にも憧れたものの、両親の強い反対で撃沈。

そこで、大学院に進みたいという気持ちが強くなり、
恩師にも両親へ説得してもらい、

両親

大学院は奨学金で行くこと。

という条件のもと、

大学院へ進学することを認めてもらうこととなりました。
(まだ合格するかわかりませんでしたが・・・)


短いピアノ人生、ようやくスタートから歩き出せた私。
これからまた数年の猶予があると思うと、ますますやる気が沸いてきて、
大学の3、4年生はそれはもうピアノ漬け(とアルバイト漬け)の日々でしたが、とても充実していました。

幸い、大学の図書館には、
ピアノ奏法や音楽に関する書籍がたくさん置いてあったので、
いろいろ借りて読み漁り、研究もしていました。


ピアノの講師も、おかげさまで成人男性の生徒様たちにお越しいただき、
なんとか続けていました。

ただ・・・・なんか思っていたのと違う・・


生徒さんを募集しはじめて1年、とある疑問にぶつかっていました。

見失っていた本質



初心者男性からの申込みはぼちぼちあり、
生徒さんがいなくて困るということはありませんでしたが、


みなさん、長続きしない

早い方だと1か月、長くても半年くらい経つと「仕事が忙しくて・・・・」とフェードアウト。
せっかく基礎をちょっと覚えたり、多少音符が読めるようになってきたか・・・
というようなところで辞める方がほとんどでした。

最初はあまり気にしていませんでしたが、1年ずっとこの状態が続くため


これはきっと、

私の何かに問題があるのかもしれない

と感じるようになりました。

大学院生時代

新しい層の生徒さんとの出会い

そんな中、リクルートの「おしえるまなべる」というサイトを見つけました。
(現在は閉鎖しています)

大学院に合格したてだった私は
肩書も増えたため、心機一転、
そのサイトで講師登録をしたところ、今までと違う層のお客様からの申込みが。


小学生の女の子Aちゃん。

親御さん曰く、

「他の先生にピアノを習って既に6年たつが、
練習も嫌いで、音符も読めず、
娘が先生の言うことを聞かないので
先生を変えたいと思っている」

と・・・

初経験にして、だいぶ難易度高いぞ!!!

ちょっと怖気づきましたが、
初心者男性の指導経験しかなかった、
しかも壁にぶち当たっている私にとっては
これ以上ないビッグチャンス到来!! でした。

2つ返事で面談をお約束し、無事に成立。


自分の至らない点を、振り返るよい機会になるとして、
Aちゃんとのレッスンに臨みました。


そして・・・・

ピアノのレッスンで、一番大事なこと

Aちゃんとのレッスンが始まりました。

ピアノ歴6年なので、弾いている曲は一応、バイエル後半くらいの曲なのですが
楽譜は読めず、前の先生に教えてもらったとおりただ指を動かしているだけ・・・

練習も嫌いだというので、本人に直接聞いてみました。

むじか

どうしたらピアノ楽しくなりそう?練習がんばろうと思えそう?

教本の曲は楽しくない。
好きな曲があるから、それを弾きたい

とのこと。


早速、Aちゃんが好きだという曲を調べ。
ちょっと難しそうだったので、
Aちゃんが弾けるようアレンジしてみました。

すると、次のレッスンでAちゃんは大喜び。爆笑

早速、その曲に取り掛かり、
レッスンでやったところの練習もしてくれるようになりました。



そこで、あることに気付いた私。ひらめき電球


成人男性の生徒さんたちは、みなさん体験レッスンの際に
「基礎も大事だと思うので、基礎もやりたい」と仰ってました。

でもそれは、<そう言わないといけない>という気持ちから出た発言で、
本心ではなかったのかも・・・

もしくは、その後気持ちも変わっていったかもしれないけど、確認作業を怠っていたなぁと。

Aちゃんのことをきっかけに、成人生徒さんたちの希望も改めて聞き、
レッスン方法を変えてみることにしました。


すると、生徒さんたちのレッスンの際の表情も、
少しずつイキイキしてきて
レッスンをより楽しんでくれているのを感じるようになりました。

おや?
私のピアノ人生、順調では???


と思い始めた矢先、

Aちゃんの練習の勢いが、また落ち始めてきてしまいました。アセアセ
 

その理由とは・・・・

自分でできる!が、やっぱり楽しさも加速させる

楽譜が読めないので、

レッスンでやった部分の音や弾き方が覚えきれず
練習が辛くなってくる



という理由のようでした。

思い返してみれば、自分が子供だったころ
楽譜を眺めるのが大好きで、音符は自然に読めるようになっていたので、
「譜読み」が大変だと感じたことはなく
結果、練習が苦ではなかったのかもしれません。
 


やっぱり、

楽譜が自分で読める 

というのは音楽をやる上での知識だけではなく、
モチベーションにとっても、
とても大切なことなのではないか・・・

と改めて思い、好きな曲のレッスンと並行して、
音読みの特訓を取り入れることにしました。

特訓開始から約3ヶ月、

Aちゃんは少しずつ音符が読めるようになり
好きな曲の練習へのモチベーションも回復してきました。お願い

さらに以前「楽しくない」と言っていた教本をパラパラめくっては、たまに弾いてみてるとのこと。

「音符が読めるのが楽しくて、弾こうかなーって気になってきた」キョロキョロ

と。

お母様も喜んでくださり、レッスン仲介サイトの「おしえるまなべる」に
高評価の口コミを書いて下さいました。✨
 

高評価をいただくと、学びたい生徒さんが検索をかけた際に
私のページが優先的に発見されるようになり、
ますます生徒さんから見られやすくなるという仕組みでした。

むじかの教室運営の原点



高評価をいただいたことと、小学生の女の子の指導経験がある 
という実績になったことで、
その後また小学生の親御さんから申し込みをいただき、
面談、成約、レッスンの口コミをいただき・・・

という流れができあがり、

いつの間にか「編集部のオススメ先生アップ」として推していただき、
様々な目的をもった生徒さんたちが集まってくれるようになりました。

ピアノを習いたい大人の方、
音大受験したい高校生、
合唱伴奏の勉強をしたい方、
サックスを習っているので楽典だけ勉強したい方、
カラオケ上達のためソルフェージュを習いたい方、
アマチュアだけどとてもピアノが上手な大学教授・・・

などなど

気が付けば、十数名の生徒さんに通っていただくまでになり、

大学院に通う傍ら、ピアノ指導をし、
早朝深夜コンビニや法律事務所のバイトなども掛け持ちして、

忙しくも充実した日々を過ごせていました。

※ハンガリーへの短期留学 小話はこちら


発表会の企画もするようになり、
発表会の名前をどうしようかなーと考えていたところ

思い浮かんだのが

むじか  でした。

これにて、むじかのピアノ教室の誕生です。

めでたしめでたし・・・・

・・・とはいかないのです。

びっくり

卒業後への不安


時は20XX年
院2年になっていた私は、卒業を間近に控えていました。 

卒業したら当然、奨学金がもらえないばかりか、
返済もしなければなりません。 
(なお現在も返済中)
 
当時のピアノ指導での収入と、
コンビニ、法律事務所のバイトをしまくれば、1人でなら
なんとか生活していくことは不可能ではありませんでした。 
 

ですが
楽器可マンションに住んでいたため、
高めの家賃を払っており、
不安定な収入への不安感はやはり強く。
 

学部生の頃から生活は常にカツカツで、
コンクールや少しの予定外の出費があるたびにひもじい暮らしをしていました。

ゆで卵1つのみが1日の食事だったり、
演奏会でいただいた差入れのクッキーと水のみで
2日間生き抜いたこともありました。ゲッソリ
めちゃ美味しいクッキーのはずが・・・口内の水分という水分が奪われる。。

服は西日暮里で数百円のものを買って工夫し、
テレビは売り払い、(N〇K対策)
物も買わず、外食もほとんどせず、
暑さに慣れ、寒い時は家の中でダウンを着て過ごしていました。

人間、あまりにお腹がすくと、心も貧しくなりがち。
こんな自分は嫌で

正直、貧乏はもうこりごりでした。 ゲロー

また、両親からは

もう存分にピアノやったんだから、そろそろ「普通の」ちゃんとした生活をして。
そうでないなら、今後何か困っても一切助けないから。

とも言われていました。

それだけではなく、
当時、色々思うところもあり
(これについては後述)

ピアノ指導を継続しながら安定した収入を得られる仕事を探そう 

という結論に至りました。 

 

しかし、ピアノ指導もまぁまぁ忙しかった中で、
そんな都合のよい仕事があるのか… 汗

…あったのです。

小学校講師時代

お子さんとかかわる上で大事な視点と経験

卒業と同時に、ピアノ指導を続けつつ、安定した収入を得られる仕事に就きました。

小学校の非常勤講師  です。


当時、都内の小学校では学力低下への対策として
「少人数制授業」や「放課後学習」の実施を試みていました。

そのため、非常勤の講師の募集をしていました。

非常勤と言っても、契約期間は1年、その間は月~金の週5稼働です。
労働時間が、8~15時までというところが魅力的でした。

私が担当した仕事は

・少人数制授業の算数指導(全学年)
・1年生の副担任および給食、学習サポート
・音楽の授業の補助および伴奏ピアニスト(全学年)
・音楽会での合唱、合奏指導、個別指導(全学年)
・移動教室の付き添い(全学年)
・放課後授業(補習授業)の担任(高学年)
・軽度の発達障害がある子どもの補佐(全学年)

ざっとこんな感じです。

とにかく、沢山の経験をさせてもらいました。キョロキョロ

それまで全く知識のなかった、
ADHDや、アスペルガー、LD、自閉症などのお子さんへの知識・対応の仕方も学べました。

この経験を通して、

1人1人の個性を尊重し、気持ちを汲み取って
得意なことを引き延ばし、苦手なことを丁寧にサポートすることがいかに大事か

子どもが、どんなことに興味をもち、どんなことなら集中して行えるのか

どうしても苦手とする内容、分野をどのように見守ってどの程度サポートするか


ということを深く考えるきかっけとなりました。

これは、現在のレッスン内容や方針にもとても役立っています。

余談ですが、少しばかりお金に余裕ができたおかげで、
コツコツ貯金して念願のグランドピアノを購入しました。
実はそれまで、自宅にアップライトピアノしかなく、
レッスンもアップライトピアノだったので。。あせる




こんな、素晴らしい環境だった小学校講師の仕事。


しかし、2年目にして転職を考えだしました。

なぜかというと・・・・

学びの多い職場を辞めた理由

得られるものが非常に多かった小学校講師の仕事。
でも、子どもたちが登校してから下校するまでそれはもう戦場でしたあせる


私の場合は、時間によって担当学年が変わったり、
場所が変わったりで校内を駆け回り、

休み時間や給食、掃除は1年生の見守りと相手をし、
体育やプールのあとには着替える時間もなく、
水着の上にTシャツをかぶって授業なんてことも・・・


加えて、冬は風邪やインフルの流行予防のため、窓は開けっぱなしで授業せねばならず。
寒がりな私は雪だるまのごとく重ね着しても震えていました。
夏は日焼け止めを塗る間もなく炎天下でシミも増加。

1日2万歩くらい走り回って体力を奪われた後
帰宅してピアノ指導、土曜日も10人くらいレッスンして・・・

という日々を過ごしていました。

幼少期からどちらかというと体が丈夫ではなかった私・・・

気持ちは平気だったのですが、身体がついていけませんでした。

毎月毎月、風邪をひいて、
子どもたちから「先生いつも風邪ひいてるね」と・・・

咳・のどの痛み・鼻水鼻づまりのフルコースだけど熱は上がらないため仕事も休めず、
(コロナ禍では考えられませんね^^;)
子どもたちに移さないようにしながら
自分も辛いし、生徒さんへのレッスンにも悪影響でした。

そしてもう一つ。

契約上、稼働時間は8時~15時でしたが、
放課後学習の指導を任されており、
それがなんと契約時間を過ぎた15時30分から開始されてました。
(ここ完全ブラック!!)

しかも決まった終了時刻がなく、生徒が問題を理解して帰るまで終われず
18時頃までいた日も多々ありました。
(ここ完全漆黒!!)

残業代はもちろんありません。

ピアノ指導が早い時間からある日は、放課後学習は他の先生へお願いして帰らなければならないこともありました。

勤務開始当初時点で、ピアノ指導とダブルワークであることは学校側へ伝えていて、
先生方も快諾はしてくれていたのですが、
他の先生に仕事をお願いして先に帰るというのが何度もあると…


契約上15時までなのだから、
悪いことをしているわけではないはずなのに
ものすごい罪悪感で

いつもいつも、退勤時が憂鬱で仕方なかったんです。
ストレスで免疫疾患の持病も発症しました。

そんなわけで、丸2年間の勤務にて退職しようと決意。



その頃、上記の事情もあって
ピアノ指導の方は新規の生徒さんを募集もしておらず
院の卒業時よりも生徒さんは減っていました。あせる

小学校を辞めた後の経済的な不安は解消せず、次の仕事はどうしようかと・・・



思えば私は、アルバイトはいろいろしていたものの
高校からピアノのことばかり考えて生きてきたし

その後も小学校での勤務という、少し特殊な業界の経験しかないので、
一般社会での常識を知らないのではないか・・・

一度くらい、一般社会にもまれてみないと!!

と思い、資格をとって次の就活にいかすこととしました。

それは・・・・

別世界へのチャレンジ

大学からずっと特殊な世界にいたため、一度は一般社会にもまれてみるべく、一般企業へ就職しようと考えました。 

院生の頃やっていた法律事務所での事務職のバイトが楽しかったので、事務職がいいなぁ。

内勤事務職ならば、小学校ほどの身体的負担はないだろう・・・と。


生徒さんたちもいて、正社員は厳しいだろうと思い、派遣の事務職を探すことに。

とは言え、ピアノ専攻で大学院まで出てしまい、小学校での職務経験しかない私。

丸腰で挑んでも、きっとどこにも採用されないかも…
と思い、日商簿記の資格をとることにしました。

勉強してみたら、お金の流れや仕訳、減価償却など 
意外と興味深くて楽しく勉強でき、無事に退職前に資格を取得!
(ちなみに個人事業主となった現在、この経験はひじょーーーに役立っています!)

当時、あちこちの企業は派遣社員を積極採用していました。
その波に乗り、小学校退職後すぐに不動産の管理会社の、経理事務職で働けることになりました。

新しい職場は 夏は涼しく、冬は暖かく、自分のタイミングでお茶が飲め、トイレに行ける・・・
ああ、天国だ・・・

小さな会社で和気あいあいとしていて、興味を持てる仕事を教えてもらい、たまに銀行や物件へ外出し、
お昼もちゃんと食べれる。

ピアノ指導のことも、会社から承諾を得ていたので最初のうちは残業をすることもなく。

夢のOLライフのはじまりはじまり・・

ピアノ指導も、極細々と続けてはいるものの、気づけばどんどん音楽の世界から遠のいていた私。

その後どうなったかというと…

人生の停滞期

経理事務の派遣社員になって1年半がすぎました。
勤めていたのは小さな不動産関連会社。

その会社は、派遣→正社員が一般ルートのため
派遣と社員の仕事量や責任の重さはほぼ変わらず。

むじかさん ならできるよね?

こう言われると変なプライドが邪魔して、自分の首を絞める締める。

いつの間にか、課長代理と同じくらいの分量と責任の仕事を与えられ
後から入ってきた新人社員の指導までも任され、
気づけば、残業残業の日々になっていました。

当然、生徒さんの募集もできるはずなく
生徒数は片手の数ほどに減っていました。

ピアノ指導の収入はスズメの涙程度だし、

残業代はきちんと頂けていたので、
残業を断りもせず、
会社へ行って、帰って、寝るだけ。

せっかく自分で買った大事な大事なグランドピアノも、
レッスン以外ではほとんど蓋を開けることができなくなっていました。

もちろん思った通り、会社に勤めて、
勉強になることも沢山ありました。

経理実務経験を積めたのは、私にとって大きくプラスでした。

仕事の内容自体も、苦痛ではありませんでした。

でも・・・・・

むじか

私、ピアノで大学院まで出たのに、今はピアノも弾かず何をしてるんだろう…

むじか

貧乏に耐えながらあんなに頑張ったのは、何のためだったんだろう…

むじか

でも、親や周りが望む「普通の」生活がちゃんとできているし、
仕事だって苦痛ではない。恵まれてるはずなんだ。

むじか

ピアノを弾くには今の仕事を変えるしかないけど、そんなことして何になる?今更この生活は簡単に変えられない…


いつしか、そんなことばかり、

ぐるぐるぐるぐる 考えるようになっていました。

思春期の頃から、ピアノに一直線に生きてきたのに
ここへきて、私は自分の人生の目的を見失っていました。





唯一ピアノに触れられる日曜日にピアノを触ってみても、
思い通りに動かなくなった自分の指に、悲しさしか感じられず。

かといって、唯一の休みの日曜日に、実力を取り戻すために
朝から晩まで毎週練習しよう、という体力も気力も持っていませんでした。

生徒さんへのレッスンは、
変わらず熱心に行っているつもりでしたが
自分がほとんどピアノを触っていないので、
中級レベル以上の生徒さんに対して、
以前に比べて具体的なテクニックのアドバイスもし辛くなり、
生徒さんに対しても、申し訳ない気持ちが募る一方でした。チーン

お金の心配はもうありませんでした。

それなのに、全然幸せだと思えない。

でも、先ほどのようなことをまたぐるぐる考えて
どうしたらいいのか分からず、自分ではどうにもできませんでした。

そのまま、時間だけが過ぎていきました。

そんな私に、大きな出来事が訪れます。

人生の流れが変わったある出来事

自分ではもはや、現状を打破する気力も体力もない当時の私でしたが

1人でいると暗くなるばかりだったので
気持ちを紛らわすために日曜日には外に出ていました。

友人だと、甘え心から暗い話になってしまいそうだったので

SNSで見つけた料理教室や、イベントなど、
知らない人たちの集まりにだけ参加して、
その場その場で気を紛らわして過ごしていました。

ある時、とある異業種交流会に参加しました。

自身で事業や副業をしている人なら参加可だったのですが
参加者は立派な経営者のおじさまやお姉さまばかり。

ああー完全に場違いなところに来てしまった・・・と思っていると
年齢の近そうな男性が声をかけてきました。

聞けば、2年前に脱サラして、資格を取得して
つい先週くらいに開業したばかりの個人事業主とのこと。

周りの経営者さんたちとの落差にとまどっていた私は、
その男性に親近感がわき
その場はずっと2人で話をしていました。

連絡先を交換し、それから何度か会うことになりました。

彼とは、仕事に対しての考え方似ていて、
仕事の話をしていると盛り上がって前向きな気分になれました。

その後、あれよあれよという間に交際となり、
出会ってわずか半年ほどでプロポーズを受けました。

ちょうどそのころ、親からも

そろそろ結婚は?
仕事も不安定なんだし、はやく結婚しなさい。

という結婚圧を受けていました。


しかし・・・・

彼はまだ開業したばかりの個人事業主。
収入はゼロに近い状態でした。

実のところ性格面等でも気になる点があり・・・

正直、すごーーーーーーく迷いました(爆)


ですが、既に八方塞がりだった私。

実はその頃、仕事のことだけなく
プライベートでも色々悲しいことが重なっており
自尊心という自尊心を全て失っていました。

それなのにこの人は、
こんな私と結婚したいとか言ってくれている・・・

むじか

こんなありがたい話は、そうそうないだろう…

むじか

結婚したら、親も安心してくれるだろう…

とても迷いましたが、悩んだ末に、

仕事の考え方、話し合いがきちんとできる点などを考えて

結婚を「決意」しました。
→この時点で、嫌な予感がしますね。

彼は地元で生まれ育ち、地元を拠点に仕事をしているので
地元を離れることはできないと。

なので私が東京を離れる他ありません。

生徒さんたちへの未練はありましたが、
子どもたちも既にけっこう大きくなっていたので、
私の信頼する先生のところへ紹介で移る等で話がまとまりました。

唯一、大人の生徒さんが、
わざわざ私の嫁ぎ先まで通ってくださるとのこと。

なんとありがたい・・・・


そんなわけで、私は2年半続けた派遣の仕事を退職し、
教室もたたみ、
引越しをし、入籍をして、
なにもかも新しい環境へ、身を投じたのでした。

再出発のきっかけ

時は20XX年。新生活がはじまりました。

夫は「たまには人生、ゆっくりするのも大事だし
しばらく仕事しなくていいんじゃない?」

と言ってくれました。

その言葉に甘え、引越しして少しの間、
私は専業主婦として過ごしていました。


手の込んだ料理を作ってみたり、
家の片づけをしたり、
久しぶりに友人に会ったり、
のんびりと過ごしていました。

最初の2ヶ月くらいは天国でした。照れ

ですがしばらくすると・・・

夫の収入はまだまだ2人で生活するには足りなかったので
預金はどんどん目減りして、またしても「貧乏不安症」に。笑い泣き

やっぱり、私も仕事するしかない!!メラメラ

派遣などの仕事を探してみましたが、
住んでいる地域ではほとんど募集がなく、条件もあまりよくなく・・・


夫は「前の仕事やっててあんなに気持ちが死んでたのに、
また同じような仕事すんの?意味なくない?ピアノ教えた方がよくない?」

と簡単に言うのですが・・・

そりゃーーお金の心配がなければ、

私だってそうしたいよ!!ショボーン

とケンカになったこともありましたが・・・

この人を選んだのは自分。
人のせいにしてても仕方がありません。
(結婚した時に、今後もし何か困ったことがあっても、自分が選んだということは忘れないように と覚悟を決めていました)

夫の言うことに、同感な部分もあったので、派遣の仕事探しはいったん諦め
地元の求人誌などを日々眺めていました。

すると、偶然にも、隣町のセレモニーホールで
ピアニストの募集を行っているではありませんか!!

学生の頃、単発で結婚式やイベントで演奏の仕事をしたことがあり
なんとなく仕事のイメージが沸きました。


これ、やりたい!!デレデレデレデレ


通勤時間はけっこうかかるのですが、迷いなく面接に行き、
ちょっとした初見視奏をさせられ、無事に採用してもらえました。音譜

ただ、仕事の特性上、
仕事が入るのは直前で
あまり稼働日も多くないとのこと。

この仕事だけではさして生活費の足しにならないのですが、
かといってフルタイムの仕事に就くことはできなくなったので、

改めて、生徒さんを募集し始めることにしました。

自信喪失から這い上がる

お子さんのレッスンについて

生徒さんの募集再開にあたり、
友人から教えてもらったピアノ教室net.というところに改めて登録してみました。

ですが、もう何年も、新規の生徒さんの募集を行っていなかったため、
自身のやり方に自信を無くしていました。滝汗


なので
改めて自分の今までのやり方を振り返ってみよう
と・・・あせる

広告の書き方を勉強してみたり
体験レッスンのアイディアを練り直したり、
レッスンの月謝や、レッスン体制も見直しました。
規約なども作りました。

そうして過ごし、サイトに登録して数か月たったある日、
念願の体験レッスンのお申し込みが・・・!

一度、他のお教室へ体験に行ったものの、

その時は入会に至らなかったという
小学生の男の子でした。


かなり久しぶりの体験レッスン・・・

すごく心配だったのであれこれと準備をして挑みました。


正直、緊張のあまり、自分としてはスムーズな流れで行えなかったのですが
その場でご入会とのお返事をいただきましたお願い

久々のお子さんのレッスン。
不安もあったので、お子さんがどうしたら飽きずに、
楽しみつつ身になるレッスンになるかということを改めて考え
引き続きいろいろな本を読んだりアイディアを練ったりして、勉強しました。


すると、生徒さんも毎回のレッスンを楽しみにしてくれていたようで、
登録サイトへ、生徒さんの親御さんよりとても良いクチコミをいただきました。

それから口コミを見て生徒さんからの体験レッスン申込みがあり、
ありがたいことに、複数名続けて入会してくださることとなりました。

こうして、色々なお子さんと接する機会も増える中で
小学校の勤務経験の中で得た知識をいろいろと思い出しつつ

・1人1人の得意や苦手、興味や性格、特性を見極めてその子に合ったレッスン内容や接し方が大事
・多くの子が夢中になりやすいこと、興味をもちやすいことの共通点

というのが、だんだんと明確になり

改めてピアノのレッスンが子どもたちに与える影響
について真剣に考える時間が増えました。

大人の方のレッスンについて

ピアノ教室net.での口コミが良好になったことで
保育士・教員試験対策で初めてピアノを習う大人の方や、
昔習っていたピアノを再開してみようという大人の生徒さんも
ポチポチいらっしゃってくださるようになりました。

元々、都内にいたころには、大人の生徒さんが圧倒的に多く、
初心者の方だけではなく、
ショパンエチュードなどを趣味で弾くような方などもおりましたが

いろいろな大人の生徒さんと関わるのも久しぶりだったので
改めて、率直にご意見や希望などを伺ってみました。

そういった大人の生徒さんたちが、
レッスンに一番求めていることは

「自分が求めている疑問・問題点に的確に応えてくれる」ひらめき電球

ことだというのが分かってきました。

大人の、特に再開組の方々は、ピアノを再開するにあたって
そこに強い意志と願望があります。メラメラ

その意思を尊重し、願望をなるべく最短で叶えられるようお手伝いすること・・・

それが最も大事だということも、改めて感じるようになりました。

また、

多くの大人の生徒さんは、
本業、あるいは子育てや家事などの合間にピアノを続けています。

時間的制約が大きい中で、いかに効率的に練習するか・・・

やりたいけど、時間が取れない笑い泣きという葛藤は
私自身にも痛いほど身に覚えがあったので

生徒さんたちが限られた時間でも、
気持ちよくピアノを続けていけるには

どう効率的なレッスン、声かけをするべきか・・・

ということも考えるようになりました。

おかげ様で、日々のレッスンの中でいろいろなことに気づかされ、
観察→研究、 観察→研究、を重ねる日々を過ごしているうちに
生徒さんがまた新たな生徒さんを紹介し連れてきてくれるようになり

ついに…

教室ランキング全国1位に

たくさんの生徒さんたちと接し色々な発見がある中で、
レッスンの工夫、体制の工夫を重ねるうち
生徒さんが生徒さんを紹介して連れてきてくださるようになりました。

そしてついにピアノ教室net.というサイトにて
ピアノ教室全国ランキングにて1位を頂戴しました。
(2015年8月~2016年10月まで)

※現在処方箋サイトは、匿名にて活動しているため教室の正式名は伏せさせていただいてます。
また、ピアノ教室net.での募集もほぼ停止中です。
今後身元を明かして活動する際には改めて掲載しますm(__)m

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